音楽祭

ドイツ音楽祭めぐり2013 ― 復活祭編(4)

バーデン・バーデン祝祭劇場イースター音楽祭には、昼間のコンサート・シリーズが用意されている。18時からの本割りはなかなか高額なのだけど、14時からのこちらはお手頃で15ユーロ。1時間強の短いステージながら、ベルリン・フィルの団員が出演ということ…

ドイツ音楽祭めぐり2013 ― 復活祭編(3)

ヴァイマルからバーデン・バーデンへ移動。たった20字の事柄だけど、例によってドイツ鉄道(DB)の遅延攻撃を受け、ひどい綱渡りをするはめに(まあ、慣れてるけど)。サーカスまがいの鉄道旅行についてはいずれ書くとして、今回はそんな気疲れを完全に払拭し…

ドイツ音楽祭めぐり2013 ― 復活祭編(2)

ヴァイマルは中部ドイツの文化都市。ゲーテとシラーを「稼ぎ頭」にしている。バッハも1710年代の大切な時期をこの街で過ごしたので、ゆかりが深い。前回も言ったが「暑さ寒さも彼岸まで」。耶蘇さんが墓から出てきたら欧州は春のはず。ところが、寒い。23日…

ドイツ音楽祭めぐり2013 ― 復活祭編(1)

「暑さ寒さも彼岸まで」というのはもちろん日本の言い伝えだけれど、お彼岸と時期が重なることが多いイースターを、春の入り口だと考えているヨーロッパ人もそれなりにいる(さもなければあんなに浮かれない)。その証拠に、復活祭の時期にあわせて音楽祭が…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2012(2)

#10 バッハ・メダル授与式(8日/旧市庁舎) 日本でも盛んに報道されたバッハ・メダル授与式。この報道合戦はもちろん、鈴木雅明がメダルを受賞したからに他ならない。バッハ演奏を中心に据える楽団「バッハ・コレギウム・ジャパン」を率いて22年、こ…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2012(1)

バッハがその後半生を(苦汁をなめつつ!)過ごしたライプツィヒ。当時の為政者がバッハを邪険にしたとしても、現在は街のヒーローだ。そんなバッハの業績を偲んで毎年この街で催されるのがバッハ音楽祭。1904年に始まった老舗フェスティバルで、今年で108周…

ハレ・ヘンデル音楽祭 2012(2)

ライプツィヒは広い平原地帯にあって、そんなに急な勾配はない。いっぽうザーレ川沿いのハレは、中部ドイツにはめずらしい丘陵地帯の街。南面した丘ではぶどうも良く育つらしく、中部では珍しくワインが美味しい(らしい)。塩の交易で金持ち、酒も美味、音…

ハレ・ヘンデル音楽祭 2012(1)

中部ドイツのハレはかつて、塩の交易で栄えた街。豪華な作りの教会や、贅を尽くした旧建築(19世紀以前の建造物)もさることながら、この街の魅力をひときわ高めているのがゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルだ。 そんな偉大な音楽家を顕彰して、この街で毎年…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (7)「”オール4番打者”による《ミサ曲ロ短調》」

野球が好きで、学生時代は神宮にも良く足を運びました。プロ野球に関してはもちろん、巨人ファン。この「もちろん」というのは、当家が一族郎党みな東京土着民だから。広島土着民の方が「もちろんカープファン!」とおっしゃるのと事態は同じです(カープファ…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (6)「トーマス教会に響く晩課 II 」

(承前) モンテヴェルディが活躍したヴェネツィア・聖マルコ大聖堂と、バッハが活躍したライプツィヒ・トーマス教会との共通点は、どちらも聖歌隊席が向かい合わせに配置されていること。音楽が生まれる場の特徴として、この点はとても大切です。というのも、…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (5)「トーマス教会に響く晩課 I 」

6月18日、トーマス教会には「聖霊降臨を祝う晩課」が響き渡りました。こう書くと、鋭い読者の方はいくつかの問題点にすぐにお気づきになることでしょう。まず、今年の聖霊降臨祭は12日だから日程がズレている。つぎに、トーマス教会はルター派の教会なので、…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (4)「玉石混淆 – それが音楽祭の魅力!」

音楽祭でお目にかかるお客さまにいつも言うのは「音楽祭は玉石混淆。今日の演奏会がいまいちでも明日のコンサートはすばらしいかも知れません。その起伏を楽しんで」ということ。まさにそんな日々を過ごしています。 14日の火曜日に足を運んだのはラーデマン…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (3)「イル・ジャルディーノ・アルモニコ – 本物の古楽奏者たち」

わたくし、心から反省しています。イル・ジャルディーノ・アルモニコを誤解していました。1990年代、ヴィヴァルディ《四季》の録音で、よく言えば刺激的な、悪く言えばたいそう下品な演奏を世に問うたジャルディーノ。しかし、そんな演奏はCDの販売戦略に過…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (2)「アンサンブル・ディアマンテ、バッハの街にデビュー」

バッハ音楽祭の昼の時間帯は、国際コンクール入賞歴のある若手演奏家のためのコンサートが開かれます。シリーズの名前は「抜群!Ausgezeichnet!」。看板に恥じない俊英が今年も集っています。 11日、同シリーズのトップバッターとして登場したのが、アンサン…

ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (1)「天使は歌がうまかった!」

ライプツィヒゆかりの音楽家と言えば、一にも二にもヨハン・ゼバスティアン・バッハの名が挙がります。この街にとってバッハは、すでに「身体の一部」なのです。そんな「バッハ・シュタット」ライプツィヒでは毎年、6月の第2から第3週にかけてバッハ音楽祭…

ハレ・ヘンデル音楽祭(4)「イギリス系の真骨頂!」

6月7・8・9日、ヘンデル音楽祭はイギリス系団体の圧倒的なヘンデル演奏に沸きました。7・8日はイングリッシュ・コンサート、9日はエイジ・オヴ・エンライトゥンメント管弦楽団の登場です。 7日はハワード・アーマン指揮、MDR放送合唱団&イングリッシュ・コ…

ハレ・ヘンデル音楽祭(3)「ヘンデル+シュレーダー=イタリア式装飾」

17・18世紀の語法で当時の音楽を演奏することが当たり前になった今、次の段階として音楽家に求められているのは、イタリア式の即興的装飾*を自家薬籠中のものとした職人的演奏です。ヴァイオリニストで言えば、バッハの《シャコンヌ》を難しい顔をして弾い…

ハレ・ヘンデル音楽祭(2)「インヴェルニッツィ、ソロ・カンタータの世界」

ハレ・ヘンデル音楽祭は声楽に力を入れています。ヘンデルはオペラやオラトリオといった大規模声楽曲をたくさん残していますから、そういう華々しい楽曲がプログラムに多く並ぶのは当然。しかしこの音楽祭、派手な演目で事足れりとするほど手抜きではないの…

ハレ・ヘンデル音楽祭(1)「コレギウム1704の《メサイア》」

中部ドイツ・ザクセン=アンハルト州の都市、ハレ。塩の産地として莫大な富を築き、18世紀には「塩のアテネ Salz-Athen」と呼ばれました。そんなかつての繁栄と、共産主義時代の爪痕とが現在、未整理のまま街に同居しています。 音楽ファンにとってこの街は…

国際マーラー音楽祭(10)「400人の交響曲 - シャイーの《交響曲第八番》」

5月17日から2週間に渡り開催されたライプツィヒ国際マーラー音楽祭。今日はその千秋楽(←もともと曲名だから音楽祭の最終公演に相応しい表現!)です。最後を飾るのはリッカルド・シャイー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団によるマーラー《交響曲第八番》。俗に…

国際マーラー音楽祭(9)「ウィーン・フィルのピアニッシモ」

ライプツィヒ国際マーラー音楽祭は、マーラーの交響曲全曲を世界の一流オーケストラがリレーで演奏する贅沢な企画。11曲を10楽団で分担するわけですが、割り振りは困難を極めたのではないでしょうか。聴くほうは、主催者のそんな苦労もつゆ知らず、これまた…

国際マーラー音楽祭(8)「ハーディング版《少年の魔法の角笛》」

ダニエル・ハーディングに初めて会ったのは3月10日。あの震災の前日のことです。新日本フィルとのマーラー《第5番》のリハーサルと、その後の彼との対話を通して、ハーディングがどんな指揮者か、その一端を感じ取ることが出来ました。その時の様子は「ダニ…

国際マーラー音楽祭(7)「ジンマン、ソナタ形式の破壊に成功」

ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、録音用のスタジオ・オーケストラなのではないか、と首を傾げる…。そんな演奏会が24日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでありました。プログラムはマーラーの《交響曲第六番 イ短調》。 分解能に優れたゲヴァン…

国際マーラー音楽祭(6)「26時間マーラー・マラソン、ゴールはゲルギエフ」

26時間マラソン、22日の22時過ぎに無事完走!ゴールはゲルギエフ指揮、ロンドン交響楽団の《アダージョ》(第十交響曲より)と《交響曲第一番》でした。《交響曲第一番》がメインディッシュなのですが、この日の白眉は《アダージョ》のほうだったと思います。 …

国際マーラー音楽祭(5)「26時間マーラー・マラソン、折り返し」

21日の午後8時にスタートしたマーラーマラソンも早、折り返し地点。11:00からファビオ・ルイージ指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の《葬礼》と《大地の歌》をゲヴァントハウスで聴いてきました。 前半、《交響曲第二番》の第1楽章に採用された交…

国際マーラー音楽祭(4)「26時間マーラー・マラソン、スタート!」

21日午後8時からは、26時間でマーラーの演奏会に3度出かけるスケジュール。この音楽祭でもっとも過酷な(?!)タイムテーブルに突入です。21日夜にヤニック・ネゼ=セガン指揮、バイエルン放送交響楽団の《交響曲第七番》を、22日昼にファビオ・ルイージ指揮…

国際マーラー音楽祭(3)「マーラーは現実がお好き?」

マーラーの未完の交響曲《第10番》。デリック・クックは1960年、そのままでは演奏できない状態で残されたスコアや草稿、清書前の楽譜などを研究し、演奏可能な校訂楽譜の制作に着手します。その後、協力者としてゴルトシュミットやマシューズ兄弟らが参加。…

国際マーラー音楽祭(2)「マーラーはモノクロの夢を見たか」

マーラーが既成の交響曲の概念を壊しつつ書き上げた《交響曲第三番 ニ短調》。19日、この記念碑的作品に挑んだのが、エサ=ペッカ・サロネン指揮、ドレスデン州立歌劇場合唱団&シュターツカペレ・ドレスデンです。アルト独唱はリリ・パーシキヴィが担当しま…

国際マーラー音楽祭(1)「功労者はゲヴァントハウス大ホール」

17日、国際マーラー音楽祭がいよいよ開幕。トップバッターはリッカルド・シャイー指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団の《交響曲第二番 ハ短調》です。合唱はベルリン放送合唱団、中部ドイツ放送合唱団、ゲヴァントハウス合唱団の混成部隊(160名超)、独唱はソプ…

国際マーラー音楽祭(0)「初夏のライプツィヒ、マーラーに沸く」

ライプツィヒゆかりの音楽家と言うと真っ先にバッハが挙がります。しかし、ライプツィヒは音楽の街を自任するだけあり、西洋音楽の歴史の中で「バッハの街」というだけでない大きな役割を果たしてきました。 先述のバッハが音楽監督を務めたことはもちろんの…