ハレ・ヘンデル音楽祭 2012(2)



 ライプツィヒは広い平原地帯にあって、そんなに急な勾配はない。いっぽうザーレ川沿いのハレは、中部ドイツにはめずらしい丘陵地帯の街。南面した丘ではぶどうも良く育つらしく、中部では珍しくワインが美味しい(らしい)。塩の交易で金持ち、酒も美味、音楽への情熱も高い。ハレのそんな矜持が花開いた例が、「バッハ、ハレでの大宴会」だ。
 ヴァイマルの宮廷オルガニストだった1713年の12月、ハレの聖母教会のオルガン建造に助言をするため、バッハは当地を訪れた。聖母教会に設置される予定のオルガンは、3つの手鍵盤とペダルに65の音栓がついた大楽器。当初建造計画を進めていた聖母教会オルガニスト、ツァッハウが亡くなったこともあり、ハレでは有能なオルガン・コンサルタントが必要とされていたのだ。
 だからバッハはハレでずいぶん大切な客として扱われた。2週間ほどの滞在でビールを30リットル、ブランデーを2本ほど空けた。食事代は2タレル16グロッシェンに上り、これは牛肉で換算すると20キログラム以上、ライ麦で換算すると300リットルを超える金額だ。
 街中でハレの昔日(!)の栄光を知るには、古く立派な建築群を眺めるほかない。でも、その「粋」が結果としてヘンデルの音楽に宿ったと思えば、これはヘンデル音楽祭に出かける動機としては充分すぎるのではないだろうか。


6月3日(日)ウルリヒ教会コンサートホール
A・スカルラッティ オラトリオ《テオドシアの殉教》
 1706年から08年に渡るヘンデルのローマ滞在。その中で重要な事柄のひとつが、スカルラッティ親子との出会い。アレッサンドロの劇音楽に感化され、ドメニコと鍵盤を競演した。このたびはそんなアレッサンドロのオラトリオを、バンゾ率いるアル・アイレ・エスパニョールが披露した。いかにもヘンデルのお手本になったようなつくり。伊の作品を西の団体が演奏したけれど、とくに良かったのは英国人のテナー、アンドリュー・トルタイス。バッハ祭で《ロ短調》を歌ってほしい。ソプラノとの二重唱「ドミネ・デウス」、きっと良いだろうな。



6月3日(日)市場教会
ガラ・コンサート ヴェッセリーナ・カサロヴァ
 指揮者がスットコドッコイ(和声知らず)、オケが似非バロック(楽器はピリオド、弾き方はモダン)でがっかりしたけれど、そんなことはもうどうでも良いと思わせた上、お釣りは結構ですというくらいにカサロヴァが素晴らしい。
 高音然り、コロラトゥラ然り。でももっともっと見事なのは芯のぴーんと通った最弱音。響き豊かな市場教会で、あんなに輪郭のはっきりとしたピアニッシモが聴けるなんて。それから土台の安定した低音。下手なコントラルトだとあの声は出ない。
 更に重要なのは、これらが表現に結実していること。フェランディーニのカンタータ聖母マリアの嘆き「宿命の時至り」》(以前はヘンデルのHWV234として知られていた)の終曲(レチタティヴォ・アコンパニャート)、「地上 la terra」の語に極端な低音を配するのは音画の常套手段だけれど、それに説得力を持たせるのはやはり、歌手の見事な低声に他ならない。「terra」一声、こちらは身震い。
 アンコールは「緑の牧場よ Verdi prati」(ヘンデルアルチーナ》)。ルッジェッロはアルチーナを捨てて元の恋人の元に帰ろうとする。それを、美しく咲いた花々(アルチーナとの恋)も、もとの土塊の姿に戻る(元の恋に戻る)と歌うのがこのアリア。「じきにお前たちは変わり果てる presto in voisi cangerà」をぐっとぐっと抑えて、しかし決然と歌えるのは力強いピアニッシモのおかげ。
 ここ最近で一頭地を抜けて素晴らしい歌を聴いた。ちなみにもっとも高い席で65ユーロ(6500円)。来るべし。


6月6日(水)市場教会
オラトリオ《ジョシュア》HWV64
ラーデマン指揮 RIAS室内合唱団&ベルリン古楽アカデミー
ラーデマン指揮のRIAS & AkAMusには毎度、感心させられる。歌声と器楽の音色の同質性、テノールの厚みが作る立体的音響、会場の響きを味方につける戦略性。それらはすべて、言葉を聴衆の下に届けるのに寄与する。今回もそう言う美点が炸裂した。驚いたことのひとつに、対位法楽章の速度がある。すごく速い。市場教会は豊かに響くから、あんまり速いと音の洪水になって、ポリフォニーがただの「混乱」にしか聴こえない。RIASは速いけれどそうならない。秘訣はデタシェ気味の発音にある模様。つまりそうとうスタッカート気味。会場の響きが豊かな分、ぶつぶつ途切れて聴こえることはない。そして速いけれど、音が「疎」なので洪水にならない。そのバランスたるや…。すごい、ラーデマン、すごい!


写真:ヘンデルが幼いころに弾いたオルガン(市場教会)/ヘンデル・ハウス(ヘンデル博物館)