日本とバッハの一世紀半

第3回

その後日本は、西洋の文物を積極的に取り入れるようになります。 西洋音楽の受容の面で重要な出来事は、1879年(明治12年)に音楽取調掛が発足したこと。これは文部省が音楽教育機関として設置したもので、のちの東京音楽学校、現在の東京藝術大学音楽学部で…

第2回

では19世紀から20世紀はじめにかけての日本を、バッハとの出会いという視点から眺めてみましょう。19世紀の禁教鎖国時代の日本でも、西洋音楽を耳にする機会はありました。たとえば1826年(文政9年)長崎から江戸へと赴く際、シーボルトは小型のピアノを携行…

第1回

バッハと日本のつきあいは意外に古く、すでに140年ほどの歴史を刻んでいます。そのせいか日本はいまや、バッハ研究・バッハ演奏の両面で多くの人材を供給する「一大産地」となりました。小林義武、樋口隆一、三宅幸夫、富田庸、礒山雅らバッハ学者、鈴木雅明…