読売日本交響楽団 第616回名曲シリーズ

 読売新聞社はかつて、アンデパンダン展を主催していた。読響にもその血が流れていることを示すジョヴァンニ・アントニーニ指揮の第1夜。モダンオケの慣習を打ち破る力が強い。
 まずもって読響の "古楽アンサンブル化" が著しい。これは「ノンヴィブラートを使っている」などということが重要なのではない。大切なのは "語り部" である通奏低音奏者がいること。富岡廉太郎(首席チェロ奏者)が子音と運弓とを駆使しておしゃべりをし倒す。岡田全弘(首席ティンパニ奏者)が力感の差異で属和音と主和音とを完全に掌握する。
 その刺激と安定とがないまぜになった土台の上でオーケストラが、レジスター転換(音域変化に伴う音色転換)を利用し、さらにそこに弦楽器の弓の上下、管楽器の息の勢いの変化を加えることで緊張と緩和とを彫り上げていく。レジスター転換、運弓・息の力動差異は、従来のモダンオケならばすべて、均一に奏すことを旨とする事柄ばかりだ。そういう思想に変化が生じている。牽引力というより包摂力を思わせる日下紗矢子のリーダーぶりも古楽らしい。そこに音楽的な素晴らしさが集約されている。
 これでハイドンの歌劇《無人島》序曲が決まらないはずもない。なにせ語ることこそが主眼の作品。そんな作品で達者な弁者たちが、立て板に水で口上を述べる。
 この日、すばらしかったのは、指揮者の求めるこうした音楽像を、楽団はもとより独奏者も共有し、それを最後まで持続させたこと。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲には独奏者として、ヴィクトリア・ムローヴァが登壇した。単旋律から対話を思わせる表現を引き出すのが見事。弓が4つの弦を移るたびに音色が変わるので、音域によって登場人物が異なるように聴こえる。そのキャラクターの移動がそのまま、旋律の句読点(アーティキュレーション)となり、その区切りが単旋律から対話風の楽想を引き出していく、という仕組み。
 オーケストラはもとより「多声」なのだが、ここにもひと工夫するのが指揮者の手腕だろう。とりわけ対位法のときに顕著だが、内声を豊かに鳴らす。そうすると、モダンオケにありがちな "ノッペリフォニー" ではなく、ピリオド奏法の目指す立体的な "おしゃべり対位法" が出来上がる。
 こうして(単声の)独奏は独奏なりに、(多声の)管弦楽管弦楽なりに「対話篇」を実現する。その "対話性" が両者で呼応するわけだ。そうすると独奏と管弦楽との対比と親和は、一段、レヴェルを上げる。この一段がすこぶる大きい。
 この "対話性" を維持したまま、ベートーヴェンの第2交響曲へ。初演当時の批評子はこの作品を「まるでハルモニームジーク(管楽合奏曲)のようだ」と評した。指揮者はその批評を彷彿とさせるような管楽器寄りのバランスをとる。このバランスがレジスター転換を強化した。それが強まれば和声の彫りの深さも、声部間のおしゃべり度も増す。
 こうして、ひたすら語り倒す "ヴィーン1800年ごろ" が現出。1998年東京、2011年ライプツィヒ、2014年ハレとアントニーニの指揮する音楽を聴いた。(音盤の販売戦略とは裏腹に)つねに「王道の人」という印象を受けてきた。このたびもまた、その印象は強まる。そしてその王道は、じつに楽しく愉快で刺激的な道であることも同様に再確認した次第。(2018年10月16日 [火] 於サントリーホール


【CD】
アントニーニ&イル・ジャルディーノ・アルモニコ 録音集

アントニーニ 過去の批評】
ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (3)
ハレ・ヘンデル音楽祭2014(2)



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プログラム執筆 — 読響第582回定期演奏会

 読売日本交響楽団第582回定期演奏会の楽曲解説と歌詞対訳を担当しました。演目はJ・M・クラウスの《教会のためのシンフォニア》、W・A・モーツァルト交響曲第39番、F・メンデルスゾーンのオラトリオ《キリスト》とカンタータ詩篇第42編》。指揮は鈴木雅明、独唱はリディア・トイシャー(ソプラノ)と櫻田亮テノール)、合唱はRIAS室内合唱団です。
 珍しい楽曲あり、王道の作品ありの聴き応えあるプログラム。とりわけ、メンデルスゾーンのふたつの声楽作品を、世界最高のコーラスのひとつ、RIAS室内合唱団の演奏で聴けるのは幸いです。鈴木雅明とRIASという組み合わせにも注目。古楽分野の手練れたちが読響とどんな音楽を奏でるか。興味は尽きません。
 読響のプログラム冊子『オーケストラ』の誌面は以下のリンクに(PDF)。解説・対訳とも予習のお供にどうぞ。なお、オラトリオ《キリスト》の対訳は、オーケストラ・アンサンブル金沢の公演にも提供しています。


【解説&対訳】
読響プログラム冊子『オーケストラ』2018年10月号(PDF)


【演奏会情報1】
読売日本交響楽団 第582回定期演奏会
2018年10月26日(金)19:00 東京・サントリーホール
鈴木雅明(指揮), リディア・トイシャー(ソプラノ), 櫻田亮(テノール), RIAS室内合唱団(合唱)
クラウス《教会のためのシンフォニア》◇ モーツァルト 交響曲第39番
メンデルスゾーン オラトリオ《キリスト》◇ 同カンタータ詩篇第42編》

【演奏会情報2】
オーケストラ・アンサンブル金沢 第408回定期公演
2018年11月1日(木)19:00 金沢・石川県立音楽堂コンサートホール
鈴木雅明(指揮), リディア・トイシャー(ソプラノ), 櫻田亮(テノール), RIAS室内合唱団(合唱)
クラウス《教会のためのシンフォニア》◇ モーツァルト 交響曲第40番
メンデルスゾーン オラトリオ《キリスト》◇ 同カンタータ詩篇第42編》


【CD】
RIAS室内合唱団による バッハ《ヨハネ受難曲》
ヤコプス(指揮), ベルリン古楽アカデミー(管弦楽)



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日本フィルハーモニー交響楽団 第704回東京定期演奏会

 ピエタリ・インキネンと日本フィルが、シューベルト交響曲第5番ブルックナー交響曲第9番とで、今シーズンの仕事をスタートさせた。これがとても佳かった。
 シューベルトNr.5にしろブルックナーNr.9にしろ、ひとつひとつの「緊張と緩和」にきちっと筋を通すから、あちこちに仕込まれた「肩すかし」も利いてくる。また "筋の通し方" もすばらしい。緊張感の変わりゆく様子を、力感の変化(弓づかいや息づかいの力動)とレジスターの変化(管楽器の重ね方と、ティンパニを含むバス声部の出し入れ)とで縁取っていく。
 そうするとブルックナーでも、物量作戦というか絨毯爆撃というか、そういう音量競争みたいなことにはならずに、音楽の迫力、緊張感の落差を表現できる。これができれば立派なもので、このコンビが良い方向に歩みを進めているのが分かった。
 あとはコンスタントにこういう結果を出していければ、ファンがもっと増えるはず。要はセリング(売りつけ方)でなくクオリティである。(2018年10月12日 [金] 於サントリーホール



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音盤比較 オペラ《魔笛》

 モーツァルトの《魔笛》は表に現れる顔の表情の多彩さと、内を貫く背骨の堅牢さとをあわせ持つオペラだ。その両方を捉えることで、この作品の深奥に少し、近づくことができるだろう。
魔笛》には“原材料”とも言うべき作品がある。それはジングシュピール(ドイツ語の歌芝居)《賢者の石》で、《魔笛》同様、シカネーダー一座が上演した。モーツァルトはこの《賢者の石》の制作に協力した。《賢者の石》と《魔笛》はとてもよく似ている。いずれも題材を、ヴィーラント編のメルヘン集『ジンニスタン』から取っている。登場人物の構成も共通したところがある。音楽の点でも《魔笛》には、先行作の《賢者の石》を下敷きにした部分が多い。ついでに言えば、両歌劇の初演歌手は、ほぼ同じメンバーだった。
 ここから分かるのは《魔笛》が、題材の点でも音楽の点でも、大衆劇の流行にどっぷりと浸かっているということ。魔法譚やおとぎ話は当時、大衆演劇で人気の演目だった。モーツァルトはシカネーダー一座のスタイルを踏まえて《魔笛》の音楽を書いた。それはまさに、大衆劇団の素朴なスタイルをモーツァルトの手で発展させたものだ。初演地が街場の劇場だったことも忘れてはなるまい。一方でこの作品は、フリーメイソンリーと密接な関係を持っている。シカネーダーもモーツァルトも、この結社の会員だった。台本にも音楽にもこの結社の印が押されている。
 作品の“出自”に関するこうしたことがらが顔の表情だとすれば、背骨にあたるのは表現の堅牢さ、とりわけモーツァルトの音楽の持つ古典主義的なたたずまいにあろう。彼は先輩音楽家グルックの提唱した「自然・明澄・簡明」の概念を、卑近なものとされた大衆劇と結びつけ、そこに結社の高邁な思想をも織り込む。
 だから、音楽表現の「自然・明澄・簡明」を守りつつ、それを大衆劇の軽妙洒脱さに寄せるか、はたまたフリーメイソンリー劇の荘重さに傾かせるかによって、《魔笛》上演の座標は決まる。
 大衆劇の味わいをしっかりと盛り込むのがルネ・ヤコプス指揮、RIAS室内合唱団、ベルリン古楽アカデミーによる演奏。水のしたたりや風のひと吹き、鳥のさえずりなど自然音を取り入れる。また、台詞に工夫を凝らすのもジングシュピールの楽しさを追求するためだ。
 フリーメイソンリー劇としての荘重さは、ザラストロ役の威厳にかかっている。その点で実に堂々とした歌を聴かせるのがテオ・アダム。オトマール・スイトナー指揮、ライプツィヒ放送合唱団、シュターツカペレ・ドレスデンの録音に聴くことができる。
 夜の女王には、大衆劇の持つ人を驚かせる要素と、神秘的存在の奥深さとが同居する。ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサンの《魔笛》は、この両者のバランスに優れた解釈を誇る。夜の女王役であるナタリー・デセイが、そのバランスの要となっているのは言うまでもない。

【CD】
ルネ・ヤコプス指揮、RIAS室内合唱団、ベルリン古楽アカデミー
オトマール・スイトナー指揮、ライプツィヒ放送合唱団、シュターツカペレ・ドレスデン
ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサン


初出:モーストリー・クラシック 2018年8月号



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555の「自由」— ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタ

 ソナタという語は、カンタータトッカータといった言葉と並べて検討しなければならない。いずれも動詞から派生した名詞で、カンタータは「歌う(カンターレ)」、トッカータは「鍵盤に触れる(トッカーレ)」、ソナタは「楽器を奏でる(ソナーレ)」に由来する。これらは声楽・鍵盤音楽・器楽のジャンル分けと一致している。
 ソナタは17・8世紀、その内容に関わらず器楽一般を指す言葉だったが、用語の使用法としては流行り廃りもあった。はじめは3つ以上のパートと通奏低音とによるアンサンブルを意味することが多かったが、やがて2つのパートと通奏低音、1つのパートと通奏低音、最終的には独奏楽器のみのソナタにまで時代の好みは移っていく。そのころにはソナタと、鍵盤独奏曲を示すトッカータとの違いは薄れ、その境は曖昧になる。このバロック期のソナタの最終地点に位置するのが、ドメニコ・スカルラッティの555曲にのぼる「単一楽章の鍵盤独奏ソナタ」だ。
 スカルラッティは1685年にナポリで産声をあげた。今年で生誕333年になる。イタリアで活躍していたスカルラッティに1719年、転機が訪れる。この年、ローマでの仕事を辞めてリスボンに行き、ポルトガル王の宮廷礼拝堂の楽長に就任した。ここでの仕事は王の子供たちに鍵盤楽器を教えることだった。生徒のひとり、王女マリア・バルバラは音楽の才能に恵まれていたという。このアリア・バルバラスカルラッティの主従関係は、作曲家の死まで続いた。マリア・バルバラは1728年、スペイン王太子フェルナンドとの結婚のため、マドリードに移る。スカルラッティは侍従のひとりとして同行。以後、この地でマリア・バルバラに仕え、作曲に健筆をふるった。
 イベリア半島に移った1720年代以降、スカルラッティはその環境を活かして555曲の鍵盤独奏ソナタを生み出していく。過干渉の父親から離れ、イタリア楽壇の煩わしさからも解放。マリア・バルバラの堅固な雇用の下、他の欧州世界から隔絶されたイベリア半島で、それまでに手に入れた音楽語法とこの半島に特有の音風景とを結びつけ、それを極めて抽象的な枠組みである「単一楽章の鍵盤独奏ソナタ」として結実させる。それを倦むことなく、独創的で実験的な555通りもの仕方で実現した。西洋音楽史上、もっとも自由に作曲をしたのが、イベリア半島スカルラッティだった。
 こうした“自由”の全貌を初めて明らかにしたのが、アメリカのチェンバロ奏者スコット・ロスだ。555曲すべてを録音したという点はもちろん、作曲(者)の自由と演奏(者)の自由、両者が音楽のうちに響き合っているのが素晴らしい。一方、オランダの古典鍵盤楽器奏者ペーター=ヤン・ベルダーは、作曲家の“実験”の全貌を明らかにした。フォルテピアノ、オルガン、複数のチェンバロを駆使した全集録音。冷静な演奏姿勢が逆説的に、555曲の実験精神をあぶり出す。

【CD】
スコット・ロス / ペーター=ヤン・ベルダー


初出:モーストリー・クラシック 2018年10月号



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読売日本交響楽団 第581回定期演奏会

 カンブルランがハースの《静物》とラヴェルの《ラ・ヴァルス》とで、演奏会後半を「静と動」の対比プログラムに"偽装"した。《静物》がその場に留まっているわけでもないし、《ラ・ヴァルス》が動き続けているわけでもない。カンブルランの音楽は静でも動でもなく、「第3の運動性」というか「第3の様態」を示す。
 それは「堆積する音楽」。テクスチュアの異なる布地を、一枚また一枚と舞台に重ねていく。塩瀬だったりお召しだったり、上布だったり縮だったり。それらがときには透けたり、ときには前の布を覆い隠したりしながら、舞台にあらたな音模様を織り出す。四拍子(《静物》)/ 三拍子(《ラ・ヴァルス》)がつねにパルスを打つ、つまり"機織りの規格"が決まっている両作品であるがゆえに、いっそう布地の質感が前面に出た。
 糸(各奏者の音)の質、布の各部分(各パート)の織り模様や色、その模様や色の配置(管弦楽全体)、それが醸し出す手触り(聴き手側の感触)。それらを次から次へと"織り出して"は舞台に重ねる。エネルギーがその場に堆積していくような、こうした演奏の様子はさしずめ、日本の宮中音楽・御神楽のよう。このプログラムを日本の管弦楽団でおこなう意義を強く感じる。
 カンブルランの「大人の仕掛け」を、涼しい顔でやり遂げた読響の仕事に拍手。このコンビはここまで到達したのか。感慨深い。(2018年9月28日〔金〕サントリーホール



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村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者』

◇村山則子『ラモー 芸術家にして哲学者 — ルソー・ダランベールとの「ブフォン論争」まで』作品社, 2018年

 17から18世紀にかけて欧州では、アートをめぐるさまざまな論争が巻き起こった。近代文学と古代文学との優劣を競った新旧論争、空間芸術と時間芸術とを区別することにつながったラオコーン論争などだ。なかでも18世紀半ば、フランス音楽派とイタリア音楽派とに分かれて争われたブフォン論争は、その代表と言える。この批判合戦の主役となったのが、ジャン=フィリップ・ラモー、その人だ。
 ラモーはフランスの作曲家。音楽理論家としても一家を成した。この書物はラモーのオペラ作曲家としての側面と、音楽理論家・論争家としての側面とをそれぞれ掘り下げることで、多くの論戦に巻き込まれた彼の立場を立体的に描き出す。全体は2部構成。前半6章でラモーのオペラ創作について触れ、後半5章で彼の音楽理論といくつかの論争とに注目する。
 この書物には軽微な短所と、それを補って余りある大きな長所とがある。短所は同規模の本に比べて、誤字・脱字・言葉の誤用・年紀の誤りをずいぶん多く含むこと。これは刷を重ねるごとに改善されるだろう。長所は、旧来のフランス音楽支持派からの批判や、イタリア音楽派とのブフォン論争など、各対立の内容をつぶさに追うことで、ラモーの創作と理論の独自性を浮き彫りにした点だ。
 先輩音楽家リュリの衣鉢を継いだと自任するラモーではあったが、リュリの音楽を信奉する一派から作品を批判される。これは裏を返せば、ラモーのオペラ改革が着実に進んでいた証拠だ。いっぽう彼は、より急進的に改革を進めようとする共作者ヴォルテールには待ったをかける。ここにフランス音楽の保守本流を任ずるラモーの姿勢が色濃く映る。第2部では啓蒙主義者のダランベールやルソーとの論争を通して、革新性と保守性とがラモーの中でどのように融合しているかということに、徐々に輪郭が与えられる。
 ラモーの創作と理論とが持つ文化的影響力に、ここまで詳細に迫る書物は、本邦に前例がない。


初出:モーストリー・クラシック 2018年9月号


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《ロ短調ミサ曲》私録 XVII【新訂版】

 当方がこれまで実演に接したバッハ《ロ短調ミサ》BWV232の番付を発表するコーナーの第17回。今回はトン・コープマン指揮、アムステルダムバロック合唱団&管弦楽団の来日公演に足を運んだ(2018年9月8日 於すみだトリフォニーホール)。
 コープマンの解釈、つまりイエスの十字架上の死に沈み込むことなく、その後の復活の喜び、神への感謝に照準を合わせる演奏に、希望と癒しの“ミサ曲ニ長調”の姿を見る。独唱陣、とりわけバスのメルテンスにも拍手。
 相変わらずガーディナーの圧倒的第1位は揺らぐことはない。これはあくまで「私録」なので、ランキング内容についてのクレームはご容赦を(笑)

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第01位 ガーディナー, モンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ライプツィヒ・トーマス教会, 2010年)
第02位 ユンクヘーネル, カントゥス・ケルン(アルンシュタット・バッハ教会, 2011年)
第03位 ヘンゲルブロック, バルタザールノイマン合唱団&同アンサンブル(同トーマス教会, 2009年)
第04位 ビケット, イングリッシュ・コンサート(同トーマス教会, 2012年)
第05位 コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団(同トーマス教会, 2014年)
第06位 クリスティ, レザール・フロリサン(同トーマス教会, 2016年)
第07位 エリクソン, エリクソン室内合唱団&ドロットニングホルム・バロックオーケストラ(同トーマス教会, 2004年)
第08位 NEW! コープマン, アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団(すみだトリフォニーホール, 2018年)
第09位 ブロムシュテット, ゲヴァントハウス合唱団&同管弦楽団(同トーマス教会, 2005年)
第10位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール, 2015年)
第11位 ヤコプス, バルタザール・ノイマン合唱団&ベルリン古楽アカデミー(同トーマス教会, 2011年)
第12位 フェルトホーヴェン, オランダ・バッハ協会(東京オペラシティ, 2011年)
第13位 アーノンクール, シェーンベルク合唱団&コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(サントリーホール, 2010年)
第14位 ブロムシュテット, ドレスデン室内合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団(同トーマス教会, 2017年)
第15位 ミンコフスキ, レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブル(ケーテン・ヤコブ教会, 2014年)
第16位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパン(バーデン・バーデン祝祭劇場, 2012年)
第17位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(ケーテン・ヤコブ教会, 2010年)
第18位 ピノック, 紀尾井バッハコーア&紀尾井シンフォニエッタ東京(紀尾井ホール, 2015年)
第19位 ラーデマン, ゲッヒンガー・カントライ、バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト(同トーマス教会, 2015年)
第20位 ブリュッヘン, 栗友会合唱団&新日本フィルすみだトリフォニーホール, 2011年)
第21位 ノリントン, RIAS室内合唱団&ブレーメン・ドイツ室内管弦楽団(同トーマス教会, 2008年)
第22位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(同トーマス教会, 2003年)
第23位 シュヴァルツ, トーマス合唱団&ベルリン古楽アカデミー(同トーマス教会, 2018年)
第24位 ビラー, トーマス合唱団&ストラヴァガンツァ・ケルン(同トーマス教会, 2006年)
第25位 延原武春, テレマン室内合唱団&テレマン室内オーケストラ(いずみホール, 2011年)
第26位 シュミット=ガーデン, テルツ少年合唱団&コンツェルトケルン(同トーマス教会, 2007年)
第27位 ビラー, トーマス合唱団&フライブルクバロック・オーケストラ(同トーマス教会, 2013年)
問題外 コルボ, ローザンヌ声楽アンサンブル&器楽アンサンブル(東京国際フォーラム, 2009年)



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"名探偵" モーツァルトのミゼレーレ伝説

 モーツァルトは1770年4月11日、ローマにいた。前年の12月、父親とともにイタリアへの楽旅に出発。ヴェローナ、ミラノ、フィレンツェを経て春先、“永遠の都”にたどりついた。この地のシスティーナ礼拝堂モーツァルトは、アレグリの合唱曲「ミゼレーレ」を聴いた。アレグリは17世紀、この礼拝堂で活躍した歌手で作曲家。この作品は年に3日、ここでしか聴けない秘曲だ。当時、「ミゼレーレ」の楽譜の持ち出しは固く禁じられていた。14歳のモーツァルトは、この曲をいちど耳にしただけでおぼえ、宿で楽譜に書き起こした。後日、それも持って礼拝堂を再び訪れ、秘曲の再演時に楽譜の誤りを確かめ、宿でそれを修正したという。
 父親がローマから送った手紙と、姉ナンネルの回想とに記録されたこの話は、モーツァルトの神童ぶりを伝えるエピソードとして有名だ。多少の脚色はあるかもしれないが、おおむね事実と見てよい。このエピソードによって我々は、モーツァルトの才能の豊かさを再確認する。重なり合う声をすべて腑分けして、克明に聴き取る能力(聴音能力)、それをいちど聴いただけで完全に記憶しておく能力(音楽的記憶力)に驚かされる。しかし、この理解には少し足りないところがある。聴音能力の実態と、楽曲再構成能力のありようとに、モーツァルトの真の天才性は発揮されている。
 アレグリの「ミゼレレ」は、単旋律のグレゴリオ聖歌を挟みながら、4声の合唱と5声の合唱とが歌い交わし、最終的に9声の合唱へとまとまる構成をとる。モーツァルトはそれをすべて克明に1音1音、細大漏らさず聴き取ったというよりも、1を聴いて10を知るように音楽を把握したはずだ。最初の主和音で調が決まり、次の和音で主和音とその和音との関係が決まる。こうした関係の連続が曲を作る。だから、4声なり5声なりのまとまりとしての和音が聴こえれば、その構成音や音の配置は推し量ることができる。
 さらに、こうして聴き取った各部分を、ひとつの作品として脳内に再構成する能力にすぐれる。アレグリはこの作品を、ルネサンスのスタイルで書いた。スタイルにはそれぞれ、そのスタイル特有の定型の束がある。モーツァルトルネサンス・スタイルの定型の束の中から、「ミゼレーレ」の各場面にふさわしい選択肢を選び、聴き取った細部をその選択肢に基づいて結びつけていく。
 つまりモーツァルトは、全体を大きく把握することで、細部をほぼ正しく推測する能力があったということだ。「ほぼ」とするのは、ある場面にいくつかある可能性のうち、アレグリとは違う選択をモーツァルトがすることがあるから。エピソードにある“誤りの修正”とは、こうした事態の訂正を指している。
 克明に聴くのではなく、推し量りつつ聴く。その推量がかぎりなく実態に近い。これがこのエピソードにみる、モーツァルトの天才性の芯だ。その“名探偵”ぶりは今も、色あせない。
 
【CD】アレグリ《ミゼレーレ》◇ ケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団


初出:モーストリー・クラシック 2018年8月号

 

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読響アンサンブル・シリーズ第18回

2018年4月9日(月)よみうり大手町ホール
読売日本交響楽団 アンサンブル・シリーズ第18回 

 読響コンサートマスターの長原幸太と同団の7人の弦楽器奏者が、メンデルズゾーンとエネスクの両「弦楽八重奏曲」を披露した。
 読響の個性は、上布を思わせる響きにある。軽やかな布地はいかにも繊細だが、1本1本の麻糸は強く、こしがある。手触りはさらっとしているが、実際には織り目が浮き立ち、生地はゴツゴツと力強い。こうした特徴は、室内楽でいっそう強調される。個性と個性とをぶつけて、スパークしたところに音楽が鳴り響く。いっぽうで、その火花の取り扱いは精妙だ。
 この方向性は作品とも相性がよい。いずれの八重奏曲も作曲家の若書き。年齢相応の青い情念と、年齢の割に熟した作曲手腕とが同居する。演奏者は、推進力のあるメンデルスゾーンの第1楽章では、麻糸のゴツゴツした力感を、細工物のように声部が重なるエネスクの第1楽章では、地紋の細やかさを感じさせる。奏者はこれらの性質を両者の終楽章で結びつけ、力強く繊細な上布を織り出すのに成功した。

【CD】メンデルスゾーン&エネスク◇弦楽八重奏曲


初出:モーストリー・クラシック 2018年7月号



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