国際マーラー音楽祭(7)「ジンマン、ソナタ形式の破壊に成功」


 ジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団は、録音用のスタジオ・オーケストラなのではないか、と首を傾げる…。そんな演奏会が24日、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでありました。プログラムはマーラーの《交響曲第六番 イ短調》。
 分解能に優れたゲヴァントハウス大ホールで、あの「書き割り的音響」。べたっとしたペンキ絵のベニヤ板が舞台に出ては引っ込むような、立体感の乏しいサウンドです。原因は2つ。1つは内声が貧弱なこと。声楽でも器楽でも、響きの立体感はテノール声部が握っていると言って過言ではありません。ヴィオラ・パートが貧弱なので、弦楽器が担当する「響きの下地」に立体感が乏しいのです。そんなベニヤ板のような支持体に、管楽器が「極彩色」をべったりと塗りたくって行く。客席にはそう聴こえます。

 ただあの音響の按配でも、ホール内に1カ所だけバランスよく聴こえるところがあります。指揮台の上です(というのも、指揮台から最も聴き取りやすい場所にヴィオラが配置されています)。これが2つ目の原因。すなわち、ジンマンだけがあの響きを気持ちよく聴き、満足しているのです。そして、ジンマンの聴いた音響バランスは、ミキシングルームでなら再現可能です。この指揮者は演奏会場(少なくともゲヴァントハウス)でのサウンド作りに見識を持っていないのだな、と思わされます。この日の指揮者とオーケストラは、セッション録音の耳で演奏会に臨んでしまいました。
 べたっとした薄っぺらい音響は、聴けば聴くほど徒労感が募ります。ところがこの「徒労感」が、マーラーの狙いを期せずして浮き彫りにする役割を負いました。マーラーは《交響曲第六番》でソナタ形式の「半殺し」に取り組みました。ここで言う「半殺し」とは、かろうじてソナタ形式の姿をとりながら、実はソナタ形式の限界を浮き彫りにする試みのこと。
 「無色の緑色のアイデアは猛烈に眠る」という文は、文法的には正しい(統語論的には整合性がある)にも関わらずナンセンスである(意味論的には破綻している)、ということ自体を表現している点では意義がある(語用論的には意味がある)わけですが、マーラーが《第六番》で書いたソナタ形式楽章にもそんな側面があります。
 マーラーは、ベートーヴェン以来ソナタ形式の要とも考えられて来た展開部での主題労作(主題をさまざまに変化させること)を反故にしてしまいました。具体的には、第1楽章の展開部の中心に突然、カウベルなどが鳴る牧歌的なエピソードを挟み込み、主題労作を分断します。一方、第4楽章では主題を展開して行くそぶりは見せますが、それを鈍い木槌の音でご破算にすること2回。ベートーヴェン来の展開部に慣れた耳には、また元の木阿弥か、と徒労感が募ります。ソナタ形式を「半殺し」にするためにマーラーが仕組んだこの「徒労感」と、ジンマン&トーンハレ管弦楽団サウンドの「徒労感」が期せずして相乗効果を生み、当夜、ソナタ形式は完膚なきまでに叩きのめされました。
 怪我の功名とはこういったことを言うのでしょう。演奏の不首尾が作曲家の意図を正しく伝えるのに役立ちました。逆に録音では、整った音響バランスによって「徒労感」が薄まり、マーラーの意図が伝わりにくくなっているかも知れません。悩ましいところです。


<使用楽譜ついて -- ジンマンの怪しげな原典主義>
 《交響曲第六番》では、第2楽章と第3楽章の順序を入れ替えて演奏することがあります。つまり「第2→第3」が「アンダンテ→スケルツォ」の場合と「スケルツォ→アンダンテ」の場合とがあるということ。これは、総譜清書時と、1906年の初演と、1907年のヴィーン初演とでマーラー自身が順序を入れ替え、さらにそれを各々の時期の出版楽譜に反映させたことによって生じた問題です。その間、第4楽章の「木槌を打つ回数」も変化しています。整理すると次の通り。
……………………………………………………………………………………………………
           第2楽章    第3楽章    関係出版譜
総譜清書       スケルツォ   アンダンテ   初版(木槌3)
初演(1906年)   アンダンテ   スケルツォ   第二版(木槌3), 第三版(木槌2)
再演(1907年)   スケルツォ   アンダンテ   マーラー全集版(木槌2)
……………………………………………………………………………………………………
 ジンマンは《交響曲第六番》の演奏に際し、楽章の演奏順序は「アンダンテ→スケルツォ」としていました。また、第4楽章で木槌を打った回数は2回。そうすると本来、第三版(ライプツィヒ・カーント社, 1906年)を使っていなければならないはずですが、ジンマンの使用楽譜は国際マーラー協会全集版(第VI巻,1963年)。かように、ジンマンの掲げる原典楽譜主義は、少なくともマーラー演奏に関してはそうとう怪しげな様相を呈していることが分かります。


写真:デイヴィッド・ジンマンチューリヒ・トーンハレ管弦楽団
    2011年5月24日, ライプツィヒ・ゲヴァントハウス大ホール