ハレ・ヘンデル音楽祭(3)「ヘンデル+シュレーダー=イタリア式装飾」


 17・18世紀の語法で当時の音楽を演奏することが当たり前になった今、次の段階として音楽家に求められているのは、イタリア式の即興的装飾*を自家薬籠中のものとした職人的演奏です。ヴァイオリニストで言えば、バッハの《シャコンヌ》を難しい顔をして弾いていれば良い時代は過ぎ、これからはコレルリヘンデルを装飾たっぷり魅力的に演奏できるかどうかが大切。

 そんなヴァイオリニストが若手の中から台頭してきました。ユリア・シュレーダーです。2004年からバーゼル室内管弦楽団コンサートミストレスを務めるシュレーダーイル・ジャルディーノ・アルモニコ(古楽界の奇天烈集団)でも演奏していました。そんな経歴がヘンデルの《ヴァイオリン・ソナタ》に結実。ハレ・ヘンデル音楽祭での披露とあいなりました。
 5日午後、現在は博物館になっているヘンデルの生家「ヘンデルハウス」での演奏会。シュレーダーのほか、カミティーニ(テオルボ)、ダンゲル(チェロ)、パロヌッツィ(チェンバロ)の3人が通奏低音として参加します。
 プログラムはヘンデルの《ヴァイオリン・ソナタ》HWV371, 358, 359a, 361に、ヴィヴァルディの《チェロ・ソナタ》RV44や、ヴァイスのテオルボ独奏曲、バベルのチェンバロ独奏曲などを挟み込んで行く構成。とりわけモンタナリの《ヴァイオリン・ソナタ》作品1-1と作品1-3が、ヘンデルと並びプログラムの柱として位置づけられました
 アントニオ・モンタナリ(1676-1737)はコレルリの高弟で、ヘンデル作品の初演にコンサートマスターとして参加するなど当時、高名なヴァイオリニストでした。ドレスデン宮廷とのつながりも深く、同宮廷のコンサートマスター・ピゼンデルにヴィヴァルディを紹介したのもモンタナリです。
 モンタナリを介して当時のヴィルトゥオーゾたちが繋がっていく、そんな様子をこの日のプログラムは表現しているかのよう。歴史的にもなかなか興味深いのですが、それ以上に演奏が光っていました。シュレーダーは装飾過多のぎりぎりのラインを、若干アウト気味に渡っていきます。ちょっと下世話でお上品とは言いがたい部分がある。そこが何とも良い。というのも、バロック期というのはそういう時代なのです。前回紹介したインヴェルニッツィ同様、シュレーダーも表現力を下品な方向に広く持っています。それは大きな力だなあと思わされます。
 それで、ひどくアウトにならないところがまたすばらしい。これはイル・ジャルディーノ・アルモニコでの経験がものを言います。ジャルディーノは「ひどいアウト」も辞さない連中ですから、どこまでいくと「ヤバい」かを経験的に学んでいった、ということです。
 
 上声部のヴァイオリンひとりに、通奏低音奏者を3人用意していることも評価できるところ。通奏低音とはすなわち即興的装飾そのもの、と言っても過言ではありません。ですから、4人全員が即興的装飾を随所に施していくことで、このアンサンブルは4本の平行線ではなく、必然的に「♯型」に交差しつつ高まっていくような、立体的なサウンドを実現していきます。これはとても刺激的で、18世紀のアンサンブルもかくや、と思わせる力があります。
 いやあ、良いものを聴きました。この演奏会、日曜の午後でいいのかしら?どうなってるハレ・ヘンデル音楽祭、すごいぞハレ・ヘンデル音楽祭!


バロック期の旋律装飾法について
 装飾というのはもちろん、美術から借りて来た言葉。その際、音楽がお手本にしているのは建築です。柱と梁と屋根と壁。これらの基本要素があれば建築は成り立ちますが、それだけでは見た目の魅力に乏しい。そこで施されるのが装飾です。一般的に力が集まる点、たとえば柱(ポスト)と梁(リンテル)の接合部に装飾が施されます。
 この考え方を音楽に敷衍すると、装飾とは「骨格となる旋律があり、それだけでは耳さみしいので、骨格旋律の『力が集まる部分』、つまり和声の終止部とか強調したい部分などに音を付加すること」ということになります。
 バロック期、この装飾方法にはフランス式イタリア式とがありました。フランス式は定型的な装飾を施す方法。本質装飾(wesentliche Manieren)と言われます。一方、イタリア式不定型の装飾を施す方法。こちらは任意装飾(willkürliche Veränderungen)と呼ばれています。前者は装飾音符の数が少ない(1〜3個くらい)ので記号化され、作曲家が楽譜上で指示することもしばしば。後者は装飾音符の数が多いので記号化されず、もっぱら演奏者の創意と工夫に任されました。
 フランス式は「記号:実際の装飾音」の1対1関係が把握できれば、装飾音を演奏することはそれほど難しいことではありません(趣味良く施せるかはまた別の問題)。一方、イタリア式は、演奏者の創意と工夫に任されていますから、大まかな規則は教則本などから把握できるにしても、その実例は楽譜として残っていないので、習得にはそうとうの年季が必要です。ですから当時、このイタリア式装飾を自在に施せることが良い演奏家の条件と考えられていました。


追記:この日のプログラムとは若干、異なる内容ながら、ユリア・シュレーダーと仲間たちが演奏するヘンデル《ヴァイオリン・ソナタ》のCDが発売されます。セッションですからライブの緊張感はありませんが、その分きっちりと作り込んでいるはず。ご興味ある方はどうぞ。→こちら


写真:(上)ハレ・ヘンデルハウスの中庭/(下)ユリア・シュレーダーと仲間たち 2011年6月5日, ハレ・ヘンデルハウス