ドイツ音楽祭めぐり2013 ― 復活祭編(2)



 ヴァイマルは中部ドイツの文化都市。ゲーテとシラーを「稼ぎ頭」にしている。バッハも1710年代の大切な時期をこの街で過ごしたので、ゆかりが深い。前回も言ったが「暑さ寒さも彼岸まで」。耶蘇さんが墓から出てきたら欧州は春のはず。ところが、寒い。23日は東京で言うと「今年は特に寒いねえ」という年の、さらに真冬日並。空が晴れ渡っていても、あちこちに残る雪は溶ける気配もない。
 「Anno1900」なる瀟洒なカフェ(←おすすめ)で、テューリンゲン・バッハ週間の広報担当者と軽く話しをしてから夜の公演へ。当夜はヘレヴェッへ指揮、コレギウム・ヴォカーレ・ヘントでバッハ《マタイ受難曲》を聴く。同コンビの実演にはそれなりに接してきたけれど、感心した演奏は実は、そんなに多くない。しかし今回は見事な公演。おかげで旅のスタートは充実したものになった。
 会場はヴァイマルハレという名の多目的ホール。バッハゆかりの土地で《マタイ》を聴くのに、味わいも何もない。でも音楽が充実していたから不問に。当夜の演奏のポイントはふたつ。ひとつは老若の力がひとつとなった「合唱の精度」、もうひとつは麗しい若さが花開いた「世代交代」だ。


「合唱の厚み」とは何だろう?

 「合唱に厚みがある」というとき、それはどんな事態を表しているのか。まずはひとりひとりの声に厚みがある、ということ。これは「息づかい」が音としてあらわれていることを指す。仮に息の出し方を3D映像で可視化できれば、なんらかのフォルムを持った立体が口から前方へと飛んでいる様子が見えるはず。息づかいの音化とはつまり、そういう立体の持つ質量や形を音として感じさせてくれることに他ならない。だから、音が高かろうと低かろうと、声質が軽やかだろうと粘り気が強かろうと、厚みのある声はあり得るし、そういう声こそが好い声なのだ。どんな時も均質で常にヴィブラートがかかっているような声は、どんなに大音量で朗々としていても、薄っぺらい声としか言いようがない。
 ただ、立体的な声が集まっても、合唱として厚みがあるかどうかはさらに先の問題圏。それを決定づけるのが声部のバランスで、とりわけ内声の扱いだ。「重低音」と称して最低声部の大音量を尊ぶ風潮があるところにはあるけれど、こと合唱の厚みの点からいえば、大切なのはアルトとテノールで、さらに踏み込めばテノールが圧倒的に重要。ソプラノとバスが2本の柱であることは論をまたない。アルトとテノールがその柱の表面に刻まれたスジ程度のものだと思うならそれは間違いで、柱と柱とをつなぐ立派な梁でなくてはならない。場合によって梁は、柱より太いことすらある。
 そのように組み立てられた合唱 ー 個の厚みと全体の立体性ー は、和弦的な音楽でも対位法的な音楽でも力を発揮する。前者では響きが一瞬にしてはるか高く立ち上がる。後者ではその立ち上がりの「建築作業」そのものを緻密に描く。
 以上が「合唱の厚み」。そしてこれは理想的な一般論であると同時に、当夜のコレギウム・ヴォカーレ・ヘントの合唱そのものを言い表してる。まさに理想的な姿がそこにあったということ。内声の充実は若手の力によるところが大きいけれど、血気盛んな若者が自分の声自慢に走るようなことがあるとうまく行かない。酸いも甘いも噛み分けた指揮者なり歌い手なりが、試行錯誤を繰り返して手に入れた知見を、合唱全体に行き渡らせる必要がある。その点でこの日の「合唱の精度」は、ひとつとなった老若の力がもたらしたと言ってよい。


表現力を身につけた若手の力

 福音書記者のマクシミリアン・シュミットは1999年、イエスのフロリアン・ベシュは1997年に大学入学、ソプラノのドロテー・ミールツは30歳代、同じくソプラノのハナ・ブラシコヴァや、カウンター・テナーのダミアン・ギヨンは80年代生まれだ。かつて「イエスと言えばこの人」だったペーター・コーイ(1954年生)のようなベテランが、いわば「背景」に退き、若い歌い手たちが文字通り表舞台に躍り出た。ただ若いだけでは《マタイ》はどうにもならない。彼らが若々しさを残しつつも、相応の表現力を身につけたこの時期だからこそ、当夜の名演は実現した。
 たとえば、アルトのダミアン・ギヨン。ダ・カーポ・アリアの第6番「Buss und Reu」は、形式の点ではABAの運び。この二回目のAをどう料理するかに、歌手の表現力があらわれる。ギヨンは「より熱を込める」という仕方で繰り返し部を彫琢した。一般的には、装飾を施したりして1度目と異なるようにする。ギヨンは1度目よりも2度目で細く、しかし無駄なく息を声帯に当てて、より芯のある響きで歌う。装飾を排した美しさ。パーマやカラーで飾るのではなく、漆黒の、飽くまでまっすぐと伸びた御髪の美しさだ。聴衆がそこに「より熱のこもった」様子を感じるのはとても自然なことのように思われる。悔い改めを歌う「Buss und Reu」にこれほど相応しいダ・カーポがあるだろうか。
 長くなり過ぎるのでギヨンに触れるにとどめるけれど、本当は若手ひとりひとりの活躍をすべて書き記したいところ。新鮮さだけでない深みを手に入れた歌い手たち。音楽家個人のキャリアのバランス、音楽家たちの年代構成・音楽性のバランスが見事に整う一瞬に《マタイ受難曲》を聴けたのは幸せだ。旅の始まりはこうでなければ!


写真:ヴァイマルのバッハ胸像