国際マーラー音楽祭(9)「ウィーン・フィルのピアニッシモ」


 ライプツィヒ国際マーラー音楽祭は、マーラー交響曲全曲を世界の一流オーケストラがリレーで演奏する贅沢な企画。11曲を10楽団で分担するわけですが、割り振りは困難を極めたのではないでしょうか。聴くほうは、主催者のそんな苦労もつゆ知らず、これまた贅沢な悩みを漏らしがち。この交響曲はあの楽団が担当したほうが良かったとか、この曲はあのオケで聴きたかったとか、不平を言います。
 たとえば、《第3番》はサロネン&シュターツカペレではなくルイージ&コンセルトヘボウが演奏し、《大地の歌》をサロネン&がシュターツカペレが担当すれば良かったとか、メルクル& MDR の《第10番》もあれはあれで面白かったけれど、できればゲルギエフ&ロンドン響で《第10番》が聴きたかったとか。

 しかし、当夜のガッティ&ウィーンフィルと《交響曲第九番》の組み合わせは、この企画の中でもとりわけ見事で、文句のつけようがないものとなりました。ウィーンフィルは《第九番》にまことに相応しい楽団です。合奏精度が高いので、どの瞬間を切り取っても各パートがつぶれずに聴こえてきます。それは対位法的な部分でも各声部の「交通整理」に寄与します。楽員それぞれの能力が高いので、表現の幅が広く、音色も多彩です。
 しかし《第九番》を成功に導く最も重要な鍵は、対位法の透明度でも音色の多彩さでもなく、弱音の「力強さ」です。一見、矛盾した表現ですが、音楽家が日々、鍛錬を積むのも、この「『力強い』弱音」のためと言ってよいくらい重要なもの。「弱音(ピアノ/ピアニッシモ)」は文字通り弱い音ですが、ここで言う「弱さ」とは音量の小ささのこと。したがって、弱々しい、力のない音ではだめで、音量は小さいながらも芯のある音でなくてはなりません。イメージとしてはパスタの茹で具合を示す「アルデンテ」。

 そんな弱音を可能にするのは、弦楽器なら圧力の安定した弓の上げ下げ、管楽器ならしっかりとした息の下支え。オーケストラで「『力強い』弱音」を実現するには、ひとりふたりそれが出来ても駄目で、全員がその領域に達していないといけません。ですから、オーケストラからそんな弱音が聴こえるというのは、実はほとんど奇跡的なことです。ところがウィーン・フィルはそれを易々とやってみせるのです。
 もう、そうなるとこのオーケストラは、どんなにピアニッシモピアニッシッシモのモティーフであっても確実に耳に届けてくれます。そのことは、この《第九番》にとってとても重要です。というのも、この《第九番》では「スラーで繋がれた二度下行音形」という最小限の音数と動きで出来たモティーフが頻繁に登場し、「死、告別」のイメージを各所に刻印していきます。「芯のある弱音」は、たとえ消え入るような音量の箇所でも、このモティーフの存在感をしっかりと示し、聴衆を迷子にすることがありません。
 ダニエレ・ガッティがこの日、コンサートマスターを抱擁したのも一重に、この「力強い弱音」を武器に《第九番》の名演を成し遂げたオーケストラに最大限の讃辞を贈りたかったから。当夜、聴衆も同じ気持ちで拍手を送りました。

 次回はいよいよ最終公演、シャイー&ゲヴァントハウス管の《交響曲第八番》です。


写真:(上)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/(下)ダニエレ・ガッティ
    5月28日, ライプツィヒ・ゲヴァントハウス大ホール