国際マーラー音楽祭(2)「マーラーはモノクロの夢を見たか」



 マーラーが既成の交響曲の概念を壊しつつ書き上げた《交響曲第三番 ニ短調》。19日、この記念碑的作品に挑んだのが、エサ=ペッカ・サロネン指揮、ドレスデン州立歌劇場合唱団&シュターツカペレ・ドレスデンです。アルト独唱はリリ・パーシキヴィが担当しました。
 さて、シュターツカペレ・ドレスデンと言えば、その「いぶし銀」の響きに支持が集まるところですが、そもそもこの「いぶし銀」とはどういう状態のことを指しているのでしょうか。シュターツカペレに関して言えばそれは、楽団全体として音色の方向性が単一的に弦楽器の方を向いている、という点に尽きます。各管楽器はもちろん、それぞれ固有の音色を持っていますが、その固有の音色の中でもっとも弦楽器に近いものを目指す、という姿勢が明白。それが楽団のサウンドの統一性を生み、ひいては「いぶし銀」の響きを生んでいるというわけです。
 しかし逆に言えば、音色のパレットが少なく立体感も乏しいので、単色の木版画のような演奏になりがち。もちろんそれが活きる曲や場面も多々あります。問題はマーラーの《第三交響曲》にそれが相応しいかどうかです。
 当夜のサロネンは、シュターツカペレのそんな特性を前面に押し出した指揮。第1楽章の、あの、マーラーの夢の中をのぞいたような、カラフルで散らかっていてとりとめのない楽想の連続が、きわめて均質な画の続くモノクロ映画のように処理されて行くわけです。そしてそれが、作曲家によって第1部とされた第1楽章のみならず、第2部とされた第2〜第6楽章でも続きます。
 シュターツカペレの均質な音色が活きた場面があるとすれば、それは第6楽章です。マーラー自身も「平安」とか「停止」といった言葉で説明しているように、均質で平滑な響きが支配的なこの楽章。ここではじめて、サロネンとシュターツカペレの仕事は実を結んだと言えましょう。

 そこで提案です。サロネンがもし、シュターツカペレの特性をこの《第三交響曲》に有機的に結びつけたいのであれば、このようにしてはどうでしょうか。

(1)第1楽章から第6楽章が「進化論的」に按配されていることを理解する(均質でない)
(2)第1楽章と第6楽章は対比的であることを理解する(両極である)
(3)シュターツカペレの特性は第6楽章で活きる
(4)したがって、第1楽章を極めてカラフルに、そこから楽章を追うごとに音色の同一性を高め(音色のパレットを減らして行き)、第6楽章は極めて均質な響きで支配する
 こうすれば、シュターツカペレの特性と、それを活かしたいサロネンの思い、そして《第三交響曲》に組みこまれたマーラーのプログラムとが有機的に結びつき、大きな成果をあげることが出来そうです。
 まさに一筋縄では行かないマーラー交響曲。明日は準メルクル指揮、中部ドイツ放送交響楽団(MDR響)による《交響曲第十番》です。未完の交響曲を、イギリスの音楽学者デリック・クックが補筆したもの。これこそ一筋縄でいかない代表格。さて、どんな演奏になるでしょうか。


写真:(上)エサ=ペッカ・サロネン/(下)シュターツカペレ・ドレスデン
        2011年5月19日, ライプツィヒ・ゲヴァントハウス大ホール