ライプツィヒ・バッハ音楽祭2011 (4)「玉石混淆 – それが音楽祭の魅力!」



 音楽祭でお目にかかるお客さまにいつも言うのは「音楽祭は玉石混淆。今日の演奏会がいまいちでも明日のコンサートはすばらしいかも知れません。その起伏を楽しんで」ということ。まさにそんな日々を過ごしています。

 14日の火曜日に足を運んだのはラーデマン指揮、ドレスデン室内合唱団&ベルリン古楽アカデミーによる宗教声楽曲の演奏会(ニコライ教会)。凝ったプログラムと、それを支える冴えた合唱が光る一夜となりました。
 当夜のプログラムの肝は、キリストの生涯を遡っていく点。教会暦では12日に聖霊降臨祭を迎えましたが、それを起点にキリストの生涯を受胎告知まで逆に辿るのです。復活したキリストがエマオで弟子たちの前に現れた話しが題材のカンタータ《われらと共に留まりたまえ Bleib bei uns》BWV6、受難週の水曜日に演奏されることを想定して書かれたゼレンカの《哀歌 I ハ短調》ZWV53-1、中風の人を癒すキリストを描いたカンタータ《われ悩める人、われをこの死の体より Ich elender Mensch, wer wird mich erlösen》BWV48を前半に配置。後半は、J・A・ハッセの《讃えよ、主の僕 Laudate pueri》で「聖母マリアの晩課」の世界を描き、「受胎告知の祝日」用カンタータ《輝く曙の明星のいと美しきかな Wie schön leuchtet Morgenstern》BWV1で演奏会を結びます。

 見事なプログラム。これに説得力を持たせるのが確かな演奏と言うわけですが、当夜は合唱の活躍が光りました。アルトとテノールが際立つ合唱はたいへん立体的で、各パートが担う歌詞もよく客席に届いています。この内声のバランスは、ドレスデン室内合唱団、RIAS室内合唱団で合唱指揮者として成果を上げるラーデマンの真骨頂。とりわけテノールの厚みは合唱の立体感にそうとう寄与するのですが、それが出来るところはそう多くないのが現状です。ですから一層、彼の働きはすばらしい。
 そんなプログラムの妙と合唱の働きを、スポイルしかけたのがソプラノのシビラ・ルーベンス。この人、欧州でも日本でもその歌を聴きますが、良かったことがありません。ソリスト、合唱、器楽の中でルーベンスひとりだけが違う様式で歌っている。そのことに気が付けない音楽家はもう音楽家とは言えないのではないかなあ。今後は名前を見たらあきらめるしか…。そんなこともあり、期待のプログラムでしたがイル・ジャルディーノ・アルモニコには遥かに及ばず。残念。

 さて15日は、248年ぶりの再演となったバッハのオペラ《ザナイーダ》。バッハと言っても大バッハの末子、J・C・バッハです。会場は1802年に柿落しをしたゲーテ劇場。ライプツィヒから車で1時間ほどのバート・ラオホシュテットまでみなで移動です。今年のバッハ音楽祭、「イタリア趣味によって…」というテーマのもとバッハとイタリアとの関係にスポットを当てています。バッハの「作品」のひとつ、末子のヨハン・クリスティアンがイタリアに留学し、その地の音楽の精華とも言うべきオペラを作曲した、ということが「バッハとイタリア」を考える際のひとつの切り口、ということのよう。《ザナイーダ》はヨハン・クリスティアンの第2作目のオペラですが、初作がパスティッチョ・オペラでしたから、これが実質的な第1作。1763年にロンドンで初演されて以来、これまで日の目を見ませんでした。ここで合理的な疑い。当時、闇に葬られたオペラが、果たして愉快に見られる代物なのか、ということ。
 それは杞憂でした。話しの筋は、恋のもつれから投獄されて解放される、というもの。これを2時間半に引き延ばすのですから、台本作家、ある意味すごいです。内容はこの程度のことなので、大変気楽に声や器楽に耳を傾け、舞台美術に目をこらすことが出来ます。
 それで当方が注目したのは、ロココ調の舞台所作。主に顔の角度、腕の上げ下げと指の動きとで感情の起伏や、歌だけでは表しきれない芝居の機微を表現しています。いっしょに観劇したオペラ歌手の方とも所作の話しで大盛り上がり。こういった事柄に関する参考書が仕事場の書棚に並んでいるのですが、予習を怠りました。帰ったら少し勉強を進めてみようと思います。
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*前回記事で指摘の通り、ニコライ教会は音響に難しい問題を抱えているので、当夜の当方の座席位置(3階の最西。演奏は1階の最東。つまり一番遠い)がかなり、聴体験に影響を及ぼしています。あしからず。

 それで、まあ、ひどかったのは16日の《ヨハネ受難曲》(ニコライ教会)。演奏はエドゥアルド・ロペス・バンゾ率いるアル・アイレ・エスパニョル。問題点は非常に明確で、先達の成果を中途半端に真似した挙げ句、そこに無根拠な自己流解釈を混ぜ込んだこと。模倣はパフォーマンスの基本ですから、それを責めているわけではありません。具合の悪いのは、(0)自己流→(1)手習い→(2)完璧な模倣→(3)演奏技術以外の知識の蓄積→(4)根拠ある解釈、と進むべきところを、(1)手習い→(0)自己流へと戻ってしまったこと。
 そういった姿勢は、受難曲の命とも言うべき「間合い」に現れていました。受難曲は、福音書記者、イエスの朗唱、各ソロの朗唱とアリア、合唱、そしてコラールで構成されています。これらを説得力ある「間合い」でつなげていけるかが勝負所。アル・アイレはその間合いを、どこからか(ドイツ系左翼あたりか?)借りて来たような風情で仕立てますが、内実は模倣が中途半端なので、どこか気色の悪いところがある。上手く話せているようでも、あぁこの人は日本語ネイティヴではないな、と気づくあの感じです。
 もちろん、一部を取り出せば真似が上手く言っているような部分もあるにはあります。たとえば《ヨハネ》でもっとも重要と目される第22曲のコラールは、書法が単純なこともあり、単体なら聴くに値する音楽でした。
 しかし、第3曲のコラールの詩「Marterstrasse!」(完全四度の半音下行は何を意味するのか留意せよ)をあのように、ただただ耽美に歌う解釈や、第9曲のアリア「Ich folge dir gleichfalls, mein Heiland」でフルートがなんの留保もなく上手に吹き切ってしまう音楽作り(D管フルートで変ロ長調を吹く意味に留意せよ)を耳にするだに、バンゾという指揮者はバッハの受難曲を理解していないのだなと思わされます。もっと完璧に模倣できるようになり、勉強を重ねてからもういちど、バッハの音楽に挑戦してもらいたいところ。大曲《ヨハネ受難曲》だけに、ことのほかがっかり。
 ところが、こんな「がっかり感」を根こそぎ払拭してくれる、最高にすばらしい演奏に18日、出会うことになります。まさに玉石混淆。それについてはまた次回。


写真:(上)ライプツィヒ・トーマス教会/(中)ラーデマン指揮、ドレスデン室内合唱団&ベルリン古楽アカデミー 2011年6月14日, ライプツィヒ・ニコライ教会/(下)オペラ《ザナイーダ》 2011年6月15日, バート・ラオホシュテット ゲーテ劇場