ライプツィヒ・バッハ音楽祭2012(2)



#10 バッハ・メダル授与式(8日/旧市庁舎)

 日本でも盛んに報道されたバッハ・メダル授与式。この報道合戦はもちろん、鈴木雅明がメダルを受賞したからに他ならない。バッハ演奏を中心に据える楽団「バッハ・コレギウム・ジャパン」を率いて22年、このたびバッハの街・ライプツィヒから、その歩みを讃えられることとなった。
 バッハ・メダルはまだ若い顕彰制度で、2003年に始まったばかり。ただし、第1回からバッハ演奏の第一人者が受賞者に名前を連ねる。レオンハルト、リリング、ガーディナー、コープマン、アーノンクール、マックス、ベルニウス、ヘレヴェッへ、ブロムシュテット。「権威ある賞」と言うよりも、賞の方が受賞者の「権威」に頼っている感じか…。いずれにしても、こうしたそうそうたる受賞者の列に日本人音楽家が加わることは、日本における「バッハ演奏の厚み」そのものが評価されたとも言えるわけで、幸いなことだ。
 「BCJの20年余は『音楽の力』を確認する歩みだった。 神戸の震災によってバッハを中心に据える決心をし、東日本大震災を通して バッハが今も求められていることを理解した」と語る鈴木。「BCJのメンバーはその場で立ち上がって」と声を掛け、道のりを共にした音楽家たちを授賞式の場でねぎらった。
 授賞式の後、バッハ演奏について話を聞く。「バッハの音楽には疑問点がたくさんある。しかし、それには必ず答えが用意されている。その取り組みは日々新鮮で、 バッハの新しさにはつねに驚かされている」。 このたびのメダルは、そんな演奏姿勢が評価された形だが、そんな評価に鈴木は、感謝しつつも不思議な気持ちだと言う。「なぜ、とりわけ欧州の聴衆に受け入れられているか分からない。 メンバーの多くは欧州留学組で、こちらの先生から教わったことをきちんと演奏に活かしているだけ」。基本に忠実なパフォーマンスが欧州人の心をつかんでいるようだ。



#14 鈴木&BCJ《マタイ受難曲》BWV244b(8日/トーマス教会)

 当夜の《マタイ受難曲》は初期稿での演奏。バッハの自筆総譜ではなく、孫弟子がバッハの死後に写した楽譜をもとにしている。この孫弟子の筆写譜が、自筆総譜以前の《マタイ》の姿を伝えているというわけだ。
 鈴木はこの「磨かれる前の《マタイ》」を、劇的な性格を獲得する前段階と考え、聖書の言葉をそのまま伝えることに注力した。たとえば、福音書記者のテュルクやイエスのコーイは朗唱を、噛んで含むように歌う。同年4月の東京公演など後期稿の《マタイ》では、福音書記者にときに速射砲のように歌わせることも辞さなかった鈴木。当夜の初期稿の演奏では、そういった劇的な演奏とは異なった運び方を目指している。
 もちろん、そういった原則を踏まえつつ各所で工夫を凝らし、BCJの美点を押し出していく。第40曲のコラール「たとえあなたから離れても」では、直前のアリア「憐れんでください」で歌われた「後悔の涙」を、「恵みと愛の認識」へと変化させる。ここで鈴木は、詩の1行1行でたっぷりと間合いを取り、このコラールの持つ柔和な響きを一層強調してみせた。
 しかし、こういった鈴木のコンセプトや工夫、そしてBCJの高い演奏水準が当夜、豊かな実を結んだかと言えば、そこには疑問が残る。劇的な面を抑えつつも、各所で工夫を凝らすことは一方で、鈴木の考える受難曲のメッセージがどこにあるかを曖昧にしてしまった。また、聖書の言葉を重んじ、淡々とした運びに注力したことで、受難曲の持つ演奏効果が発揮されなかったことは痛恨だ。 
 鈴木の考えやBCJの演奏水準は認めつつも、それが聴衆の求めるところとあまりにも離れていたことは否めない。ただ、鈴木に初期稿の演奏を強く提案したのは主催者であって、鈴木は少なくとも演奏効果の点でそれに納得していなかったことは言い添えておきたい。《マタイ受難曲》初演の地、ライプツィヒ・トーマス教会でその原型を演奏する意義に、鈴木も首を縦に振るしかなかった。
 しかしこれもまた、鈴木が語った「バッハの音楽の疑問点」や「バッハの新しさ」が吹き出してきた結果なのかもしれない。そうだとすれば、今後の鈴木の取り組みでそこに解決がもたらされることに、大いに期待しよう。

次回はコープマン&アムステルダムバロック・オーケストラ/クリード&ヴォーカルコンソート・ベルリン


写真:授賞式の様子/拍手に応える演奏者たち