ボン・ベートーヴェン音楽祭2017

 ベートーヴェンは1770年、ドイツ西部のボンで産声をあげた。そのことにちなみ同地では毎年、この大作曲家の名を冠した音楽祭が催されている。今年のベートーヴェン音楽祭は9月8日から10月1日までの3週間あまり、市内のベートーヴェン史跡やホールを会場に、54の公演で作曲家の業績をたたえた。交響曲や協奏曲など大規模な管弦楽のコンサートはもちろん、いくつかのカルテットが分担してベートーヴェン弦楽四重奏曲を紹介するシリーズや、ジャズのライブ、野外演奏会までプログラムは幅広い。
 とりわけ最後の10日間に注目の公演が並んだ。9月23日にはイザベレ・ファウストがオラモ指揮のBBC交響楽団とベルクの協奏曲で共演、27日と29日にはオランダのフォルテピアノ奏者、ロナルド・ブラウティハムがベートーヴェンソナタなどを演奏した。28日にはロシアの若手イゴール・レヴィットが現代ピアノでバッハなどを披露。29日にはクリスティアン・ベズイデンホウトが、現代ピアノを古典奏法で弾いた。
 なかでも、ブラウティハムとベズイデンホウトとの対比が興味深い。ブラウティハムは、ボン郊外に建つ18世紀の瀟洒な館でリサイタルをおこなった。ベートーヴェンの「幻想曲風ソナタ」作品27-1、「月光」同27-2を中心としたプログラムで、楽器は19世紀初期のグラーフを写したもの。演奏法は19世紀のスタイルを採る。聴こえてきたのは豊かなドイツ語のおしゃべりだ。句読点の打ち方を工夫し、多彩な子音母音を総動員することで、登場人物たちの対話を描く。
 ベズイデンホウトは現代的な会議場の大ホールで、カエイエルス指揮のル・コンセール・オランピークと共演、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」を弾いた。ピアノも管弦楽も現代楽器だが、どちらも古典奏法を採用することで作曲当時のみずみずしさを再現する。会場が大きいだけに、大音量のモダン楽器で古典奏法という選択は当を得たもの。ピアノと管弦楽の各パートとで、同じ旋律のフレージングを細かいところまで共有するので、対話や受け渡しが実に自然に響く。ブラウティハムもベズイデンホウトも、21世紀に19世紀初めの音楽を響かせる意味を正面から見据える。その結果、こうした対比と共通点とを生み出すことへとつながった。
 2018年の音楽祭は8月31日から9月23日まで。プログラムの詳細は来春、発表される予定だ。


【CD】
「ベートーヴェン ピアノソナタ全集」ブラウティハム(フォルテピアノ)


初出:モーストリー・クラシック 2018年1月号





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ブーレーズ他『魅了されたニューロン』(笠羽映子訳)

ピエール・ブーレーズ 他『魅了されたニューロン』笠羽映子訳, 法政大学出版局, 2017年

 パリのサン・ジェルマン・デ・プレに軒を連ねるカフェ。文学者や哲学者らがそこで議論を戦わせてきた。この書物はそんな人士のおしゃべりを思わせる対話篇だ。仮想カフェの席を温めるのは作曲家で指揮者のブーレーズ、神経生物学者のシャンジュー、ブーレーズの息子世代にあたる作曲家マヌリのフランス人3人。シャンジューが狂言回しとなり、さまざまな問題についてブーレーズに見解を問う。そこにマヌリがセカンド・オピニオンを挟んでいく。昨年亡くなったブーレーズにとって、最後の著作となった。
 話題の総数は57。特徴的なのはシャンジューが、第4の同席者をたびたび登場させることだ。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルソー、パブロフ、メシアンらの言葉を巧みに引用して、話しのきっかけを作る。こう聞くと難しい内容を想像しがちだが、必ずしもそうではない。持って回った言葉づかいは、フランス語話者の個性と解釈しておこう。
 音楽にまつわるさまざまな疑問に、生物学的な観点から斬りこむのが同書の身上。たとえば、「新しさ」を重視する芸術の姿勢をシャンジューは、人間の生理学的な反応から擁護する。新しい刺激に接すると人間は、感官の感度を上げ、頭部の血流を増やし、脳を覚醒させるのだという。それに対してブーレーズは、「新しさ」に対する興奮よりも、同じ動作を繰り返すことへの不快感を訴える。
 シャンジュー自身が言うように、「脳生物学が興味を持つ分子的あるいは細胞的なレヴェルと、他方の、音楽の(中略)知覚のレヴェルとの間には、飛び越え難い深淵が存在する」。だから、説得力が高いように感じられる先ほどの議論にも、美学と生理学とを結びつける根拠は、実のところない。とはいえこれを、カフェでの対話として捉えれば、そこには良質な知的ゲームとしての側面が見える。このカフェの5番目の客として臨席し、彼らの話に耳を傾けてみる。そんな読み方がこの書物の柔らかさにふさわしい。


初出:モーストリー・クラシック 2017年11月号





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バーデン・バーデン・ペンテコステ音楽祭 2017

 欧州に初夏を告げる聖霊降臨祭。このキリスト教の祭日を境にヨーロッパは、1年でもっとも爽やかな季節となる。それに合わせて各地で盛んに行われるのが音楽祭。ドイツ南西部の温泉町バーデン・バーデンでも、豪華なメンバーによるペンテコステ音楽祭が催された。
 バーデン・バーデンの祝祭劇場は、昔の鉄道駅舎を改装して造られた演奏会場。チケット窓口も当時の乗車券売り場をそのまま利用するなど、レトロな雰囲気を残す。内部は現代的な大ホールで、2500人の聴衆を収容できる。そんな劇場をおもな会場に、“バーデン・バーデン ペンテコステ音楽祭”は行われる。2017年は6月1日から5日までの5日間、8つの公演で音楽ファンの耳を楽しませた。
 ヤノフスキー指揮、NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団によるワーグナーのオペラ「ラインの黄金」や、ニケ指揮、ル・コンセール・スピリチュエルによるヘンデルの「水上の音楽」「花火の音楽」、ソプラノのダムラウによるオペラ・アリアの夕べなど、賑やかな舞台が話題を呼ぶ。一方、室内楽の演奏会にも優れた音楽家が出演。そのうちアンドラーシュ・シフのリサイタルと、ダニール・トリフォノフ室内楽コンサートは、2人のピアニストの腕が冴えるすばらしい夜だった。

 シフはリサイタルの前半に、バッハとバルトークの作品を組み合わせて演奏。後半にはヤナーチェクシューマンを並べる。折々にピアニスト自身の解説のある豪華なコンサートだ。トーク内容も興味深いが、なにより演奏の説得力が図抜けている。たとえばバッハの「愛する兄の旅立ちに寄せて」。6つの楽章からなるこの作品は、バッハが兄の就職に際して書いた音楽。それぞれの楽章に標題がつき、さまざまな情景や心情を描写する。その6つの楽章をシフは、まるで6つの異なる楽器で弾くかのように響かせた。それはチェンバロかもしれないしヴァイオリンかもしれないしオーボエかもしれない。それぞれの楽章の性格にぴたりと寄り添う音色が、1台のピアノから聞こえてくる。
 今回、ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィ・ムターの相棒として出演したトリフォノフも、室内楽で大きな成果を上げた。とくにシューベルトピアノ五重奏曲「鱒」は聴きものだった。音域によって音色が違うのは当たり前。それを弦楽器の各パートの個性と対応させていく。ピアノの“子音”もヴァラエティーに富んでいる。たとえば同じ上行音階の繰り返しでも、そのたびごとに言い回しが異なるのだ。アンサンブルの中心にトリフォノフがいるのは明らかだった。
 2人のピアニストの“凄味”の利いた演奏に、くつろいだ気分で接することができるのは、音楽祭の効果だろう。ベテランと若手の競演によって、初夏の爽やかさがいっそう大きく感じられた。
 

写真上:バーデン・バーデン祝祭劇場のチケット売り場
写真下:拍手に応えるシフ(2017年6月1日, バーデン・バーデン祝祭劇場)


初出:月刊ピアノ 2017年8月号





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《ロ短調ミサ曲》私録 XV【新訂版】

 当方がこれまで実演に接したバッハ《ロ短調ミサ》BWV232の番付を発表するコーナーの第15回。今回はライプツィヒ・バッハ音楽祭2017の千秋楽、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のドレスデン室内合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会に足を運んだ(2017年6月18日, ライプツィヒ・トーマス教会)。ブロムシュテットは2005年以来、12年ぶり2度目の登場。12年前はゲヴァントハウス管弦楽団の楽長退任を記念する演奏会だった。
 相変わらずガーディナーの圧倒的第1位は揺らぐことはない。これはあくまで「私録」なので、ランキング内容についてのクレームはご容赦を(笑)


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第01位 ガーディナー, モンテヴェルディ合唱団&イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(ライプツィヒ・トーマス教会, 2010年)
第02位 ユンクヘーネル, カントゥス・ケルン(アルンシュタット・バッハ教会, 2011年)
第03位 ヘンゲルブロック, バルタザールノイマン合唱団&同アンサンブル(同トーマス教会, 2009年)
第04位 ビケット, イングリッシュ・コンサート(同トーマス教会, 2012年)
第05位 コープマン, アムステルダムバロック・オーケストラ&同合唱団(同トーマス教会, 2014年)
第06位 クリスティ, レザール・フロリサン(同トーマス教会, 2016年)
第07位 エリクソン, エリクソン室内合唱団&ドロットニングホルム・バロックオーケストラ(同トーマス教会, 2004年)
第08位 ブロムシュテット, ゲヴァントハウス合唱団&同管弦楽団(同トーマス教会, 2005年)
第09位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール, 2015年)
第10位 ヤコプス, バルタザール・ノイマン合唱団&ベルリン古楽アカデミー(同トーマス教会, 2011年)
第11位 フェルトホーヴェン, オランダ・バッハ協会(東京オペラシティ, 2011年)
第12位 アーノンクール, シェーンベルク合唱団&コンツェントゥス・ムジクス・ヴィーン(サントリーホール, 2010年)
第13位 NEW! ブロムシュテット, ドレスデン室内合唱団&ゲヴァントハウス管弦楽団(同トーマス教会, 2017年)
第14位 ミンコフスキ, レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブル(ケーテン・ヤコブ教会, 2014年)
第15位 鈴木雅明, バッハ・コレギウム・ジャパンバーデン・バーデン祝祭劇場, 2012年)
第16位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(ケーテン・ヤコブ教会, 2010年)
第17位 ピノック, 紀尾井バッハコーア&紀尾井シンフォニエッタ東京(紀尾井ホール, 2015年)
第18位 ラーデマン, ゲッヒンガー・カントライ・シュトゥットガルト、バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト(同トーマス教会, 2015年)
第19位 ブリュッヘン, 栗友会合唱団&新日本フィルすみだトリフォニーホール, 2011年)
第20位 ノリントン, RIAS室内合唱団&ブレーメン・ドイツ室内管弦楽団(同トーマス教会, 2008年)
第21位 へレヴェッへ, コレギウム・ヴォカーレ・ヘント(同トーマス教会, 2003年)
第22位 ビラー, トーマス合唱団&ストラヴァガンツァ・ケルン(同トーマス教会, 2006年)
第23位 延原武春, テレマン室内合唱団&テレマン室内オーケストラ(いずみホール, 2011年)
第24位 シュミット=ガーデン, テルツ少年合唱団&コンツェルトケルン(同トーマス教会, 2007年)
第25位 ビラー, トーマス合唱団&フライブルクバロック・オーケストラ(同トーマス教会, 2013年)




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ライプツィヒ・バッハ音楽祭2017

 ドイツ中部ライプツィヒで6月、恒例のバッハ音楽祭が開催された。ルターの宗教改革から今年で500年。2017年はこの宗教改革をテーマの中心に据え、ルターの改革とバッハの音楽とをともに紹介する。会場は市内のバッハ史跡など。6月9日からの10日間、120を超える公演で両者の仕事を振り返る。
 10日、ニコライ教会に登場したのは、マルムベルク率いるエリック・エリクソン室内合唱団とドロットニングホルム・バロック・アンサンブル。ルター派用のミサ曲など、典礼音楽を特集した。精度の高い合唱、その歌声を御堂にくまなく運ぶ管弦楽。両輪がかみ合って一線級のバッハ演奏となった。
 11日にはガーディナーが、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツとともに、ゲヴァントハウスの舞台に登壇。シュッツの詩篇唱では合唱が、語句の繰り返しのもたらす高揚感を表現する。後半の「われらが神は堅き砦」などバッハのカンタータ3曲では、声楽・器楽のすべてが「声」となって会場に響き渡った。
 今年のサブテーマは、モンテヴェルディ生誕450年。バッハ音楽祭初登場となる2組が、卓越した演奏を披露した。13日、ゲヴァントハウスでオペラ「オルフェオ」を上演したのが、サヴァール指揮ラ・カペッラ・レイアル・デ・カタルーニャル・コンセール・デ・ナシオン。声楽と器楽の柔らかな母音が、この作曲家一流の強烈な不協和音を浮き彫りにする。この日はオルフェオ役のモイヨンに、ひときわ大きな拍手が送られた。
 14日の「聖母マリアの夕べの祈り」は、ピションとアンサンブル・ピグマリオンの演奏。ピションはニコライ教会の前後左右上下の空間を大胆に使う。それが音響効果を持つだけでなく、詩の内容を象徴的に表す表現行為そのものになっていた。演奏はまるで精密機械。それをダイナミックな空間配置で展開する。その表出力は圧倒的だ。
 18日の千秋楽は例年通り、トーマス教会での「ミサ曲ロ短調」。今年はブロムシュテット指揮ドレスデン室内合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団が担当する。内声を厚めに配した合唱を管弦楽が支え、詞章を平土間に運ぶ。声を殺しがちな現代楽器でこれを実現するのは難しい。指揮者と楽団の相性のよさが功を奏した。
 来年のバッハ音楽祭は6月8日から17日まで。ガーディナー、コープマン、鈴木、ラーデマンらが集い、カンタータ30選を分担して演奏する。


ライプツィヒ・バッハ音楽祭2018 のプログラム


初出:モーストリー・クラシック 2017年11月号





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ドクメンタ14 ― カッセル&アテネ

 暑さ寒さも彼岸までという。こういった実感を持つのは日本人だけではない。ドイツでも同様に、キリスト復活祭を迎えれば人々は春の訪れを感じるし、聖霊降臨祭になれば初夏の到来を喜ぶ。それに音楽シーンやアートシーンが連動する。2017年の聖霊降臨祭は6月4日。それに合わせて各地の音楽祭や展覧会が、新シーズンを開幕させた。たとえばフランクフルト・アム・マインの現代美術館本館は、パフォーマンスアートの先駆けとして知られるアメリカの美術家、キャロリー・シュニーマンの大規模な展覧会を、5月末にスタートさせた(http://mmk-frankfurt.de/)。同じころ、フランクフルトから南に約30キロメートルのダルムシュタットでも、新たな展覧会「プラネット9」が始まった。同市のクンストハレには、17カ国以上の国々のアーティストの平面・立体・映像・インスタレーションなどが並ぶ。その多くは展示会場の空間に合わせて制作された(http://www.kunsthalle-darmstadt.de/)。
 初夏に始まるこうしたイヴェントのうち、今年もっとも注目されたのがカッセル・ドクメンタだ(http://www.documenta14.de/)。ドクメンタは5年に1度の大規模な現代美術展覧会で、ドイツ・ヘッセン州北部の街カッセルで開催される。2017年は「アテネに学ぶ」をテーマに、カッセル(会期・6月10日から9月17日)とギリシャアテネ(会期・4月8日から7月16日)とで、展覧会をはじめとしたさまざまなプロジェクトを展開している。

 興味深いのは、音楽関連の催しが多く用意されている点。同展覧会の記者発表会(6月7日、カッセル)でも、委嘱音楽作品のお披露目が行われた。シリア・ダマスクス生まれの作曲家でヴァイオリン奏者でもあるアリ・モラリーが登場、ロス・ビレルの委嘱作品シリーズ「フーガ」に寄せた自作を自ら演奏した(写真最上)。「フーガ」すなわち「逃げる」の語義に、移民問題で揺れる欧州の現状を落とし込む。モラリー作品のタイトルは《QUATRAIN》(四行詩)。パウル・ツェランの詩《死のフーガ》に基づくヴァイオリン独奏曲だ。楽章は《漂う煙》《僕らが飲んだ黒い乳》《ズラミート》《宙の墓》の4つで、フーガの主題は委嘱者のビレルが書いた。作品は従来の重音奏法などを多用しており、バロック期以来の独奏フーガの書法をほとんど逸脱しない。
 この作品の初演地自体はアテネ。そのことからも分かるように、多くの音楽イヴェントがアテネで催された。当方が滞在した6月下旬もさまざまな演奏会が用意されていた。19日夜はアテネ・コンサートホール・メガロンで、ドイツの作曲家ヤコプ・ウルマンのミニオペラ《Horos Meteoros》(2008〜9年)を紹介する一夜(写真中上)。この作品は「古代アテネの悲劇詩人エウリピデスアイスキュロスによる劇的一節」との副題を持つ。ウルマンの「静粛な音楽」シリーズのひとつだ。ソプラノ、オーボエ・ダ・カッチャ、アウロス、弦楽三重奏、打楽器、混声重唱の編成だが、奏者は一切、ステージに登壇しない。舞台裏など客席からは見えないところに各々陣取り、一貫して静かな音楽を奏でていく。作品は独唱と鐘の保続音で始まり、そこにさまざまなサウンドが継ぎ足されていく。打楽器しかり管楽器しかり。やがて混声の重唱も加わるが、響は厚くならず、遠くさまざまな方向から、か細く聴こえる。緩やかに変化しつつも、大きく形を崩すことはない。その「静寂を聴かせる」姿勢を、曲の最後まで保った。こうしたスタイルは、音を「より善く、より多く聴く」ためだという。

 翌20日アテネ・コンサートホール・メガロンで演奏会。フランスの作曲家エリアーヌ・ラディーグの《Naldjorlak I》(2008年)を、チェロのチャールズ・カーティスが弾く(写真中下)。作品のタイトルはチベット語で、悟りの瞬間を意味している。音楽はひたすら同じ音を鳴らし続けるものだが、そこにはいくつか、変化をもたらす工夫がなされる。たとえば重音で弾かれる2本の弦は、数ヘルツずらして調弦されており、そのまま演奏するとわずかな唸り(ウルフ音)を発生させる。奏者は時折、指板上でこのウルフを増やしたり減らしたりする。息長くクレッシェンドやデクレッシェンドをすることで、音に緩やかな稜線を描かせる。弦はおろかテイルピース・ワイヤやエンドピンまでも同じ音程に調律しているので、それらの部分を弾くこともある。同じ発音体のわずかな音程差や、発音体の異なる同じ音程など、全体を通して同じ音の微小な差異を突き詰めていく。これが50分ほど続くわけで、完遂したときはたしかに、悟りに近づいたような気さえした。

 コンサートホールのほど近く、市内の中心部にアテネコンセルヴァトワールがある。ここで21日、ギリシャの古歌と現代音楽とを組み合わせたコンサートが催された。ビザンツ時代の俗謡をひとり歌いながら、同所地下の展示空間をめぐる女性歌手。やがて聴衆を別の展示室へといざなう。聴き手はそれに従って移動し席に着く。そこで始まったのはヤコプ・ウルマンの《Solo II》(1992年)(写真最下)。ダフヌ・ヴィサント・サンドヴァルがファゴットを独奏した。ここでもウルマンの課題は「静寂の音楽」。奏者がファゴットに息を吹き込む音、吸い込む音、タンギングをする打突音、実音とそのポルタメントによって生じる微分音、消音器を入れた音、リードなしで吹く音など、さまざまな試みがなされるが、その音の変化は小さく音量はつねに最小限だ。奏者は図形楽譜に基づき、時計だけを頼りにこれを吹く。20時少し前に始まった独奏も、終わったのは21時を過ぎたころ。夏至の欧州の日暮れは遅く、おもてはまだ明るかった。



初出:音楽現代 2017年9月号


【CD】ヤコプ・ウルマン《Solo II》ほか


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ハインツ・ホリガー《スカルダネッリ・ツィクルス》

2017年5月25日(木)▼東京オペラシティ コンサートホール▼コンポージアム2017 ハインツ・ホリガーの音楽 ー《スカルダネッリ・ツィクルス》

 ホリガーの「スカルダネッリ・ツィクルス」(1991年完成)の日本初演。スカルダネッリとは19世紀ドイツの詩人ヘルダーリンの筆名。この詩人の作品をもとにホリガーは、合唱のための「四季」全3集、器楽のための「スカルダネッリ練習曲集」全11曲、フルートのための「テイル」を書き、2014年にはこれら全体の演奏順序を定め決定稿とした。演奏はフルートのレングリ、ラトヴィア放送合唱団、アンサンブル・ノマド。指揮は作曲者自身。
 たとえば「四季」第2集の「夏」。3連の詩の背景が丘・道・園と微視的になるにつれて、3回繰り返すカノンの音度が半音・四分音・八分音と狭くなる。こうして詩世界と音楽とは呼応する。しかし聴き手は、詩にも音楽にも夏を感じることはない。それがこの作品の芯だ。
 音楽が詩世界に寄り添うほど、その詩世界と聴き手との断絶は深まる。他人を寄せ付けない詩本来の性質を、音楽が色濃く映すからだ。ここには2つの奇跡が生じている。ひとつは、そんな詩の性質にもかかわらずホリガー自身は、その詩世界に近づけたこと。もうひとつは、その接近を通して、詩と他者との断絶をありありと表現したこと。自分自身は詩世界に寄り添いつつ、他者には詩との断絶を感じさせるというのは本来、その詩の作者にしかできない。この詩人と作曲家との二重写しに気づかせてくれた点に、日本初演の意義は凝縮している。演奏者に拍手。

【CD】
ハインツ・ホリガー《スカルダネッリ・ツィクルス》


初出:モーストリー・クラシック 2017年8月号





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東京交響楽団 第684回定期演奏会

 秋山和慶の指揮で東響が、「フランスのエクリチュール」のさまざまな姿を紹介する。
 メシアンの交響的瞑想「忘れられた捧げ物」は、作曲家22歳のときの若書きだが、リズムと管弦楽法とはすでに精緻。こうした総譜を前にすると、音符を正確に音にするのに長けた秋山と東響とは力を発揮する。
 一方、フローラン・シュミットのバレエ音楽サロメの悲劇」は、楽譜の空白部分を彫琢してはじめて体をなす作品。このコンビのアプローチでは音楽が空洞化する。
 この日の白眉は両曲に挟まれた「ピアノ協奏曲」。仏で作曲を修めた矢代秋雄の作品だ。深い次元まで書かれた総譜が、楽譜再生能力の高い管弦楽と呼応する。その上で独奏の小菅優が、子音の利いた発音で作品世界を描き出していく。矢代は短長や長短短といった特徴的な韻律を、曲全体を束ねるかすがいとして用いた。滑舌の良いピアノがそのかすがいを、打つべきところに打ち込む。この協奏曲の演奏史はこうして新局面に入った。〔2017年1月14日(土)サントリーホール

初出:モーストリー・クラシック 2017年4月号


【CD】
矢代秋雄▼ピアノ協奏曲▼森正指揮, 中村紘子独奏, NHK交響楽団





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新日本フィルハーモニー交響楽団 第568回定期演奏会

 冒頭、蓄音機からシャンソン聞かせてよ愛の言葉を」が流れる。武満徹を音楽家の道へと誘ったこの曲の後、この作曲家の歩みをたどる演目が続く。指揮は井上道義
 歌(大竹しのぶ)などを交えつつ進むプログラムは、ほぼ年代順に武満の創作期をなぞる。その中心は2つ。1つは前半のピアノ曲「リタニ」第1曲と第2曲との間の輝度差、もう1つは後半の管弦楽曲「カトレーン」と「鳥は星形の庭に降りる」との間の対比。
 木村かをりの弾く「リタニ」では、第1曲と第2曲とのサウンドが異なる。それこそ武満がこの作品で目指した曲作り。2曲はテンポも楽想も似通っているが、基本的な音域が違う。音域の違いは音色の差異を生む。この音色の輝度差を武満は、「前奏曲とフーガ」や「アダージョアレグロ」といった古典的な楽曲形成原理に代わるものとして用いた。
 「カトレーン」と「鳥は〜」との対比は、それぞれの中心的な音程、四度と五度の世界観の違いに由来する。井上は、前者では管弦楽の最低音域をごく薄く配して、横方向への旋律的な運びを重視。後者では最低音域を厚めに配して、縦方向へと屹立する和音の移り変わりに力点を置く。こうして四度音程と五度音程の世界観の差異を表した。
 前後半の2つの中心には、西洋音楽を換骨奪胎して、そこに自らの血を流し込む武満の創作姿勢が現れている。演奏家たちの佳い仕事が、それをはっきりと示してくれた。〔2017年1月26日(木)サントリーホール


初出:モーストリー・クラシック 2017年4月号





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A・ビルスマ他『バッハ・古楽・チェロ ― アンナー・ビルスマは語る』

アンナー・ビルスマ, 渡邊順生『バッハ・古楽・チェロ ― アンナー・ビルスマは語る』(加藤拓未 編・訳)アルテスパブリッシング, 2016年〔本体3800円+税〕

 ピリオド・アプローチを採用する代表的なチェロ奏者のひとり、アンナー・ビルスマと、日本の古典鍵盤楽器奏者、渡邊順生との対話篇。ビルスマ自身の音楽活動を語る第1部、楽器について説明する第2部、バッハの「無伴奏チェロ組曲」の奏法を解説する第3部、ボッケリーニを題材に広く音楽について話題を巡らせる第4部からなる。そこに渡邊によるビルスマとの思い出語りを加えた構成で、この音楽家の世界に迫る。
 各部とも個別具体的なことがらを話題としているにもかかわらず、その中心にはつねに、西洋音楽の太い幹がそそり立つ。これがこの書物のもっとも優れた特徴だ。欧州の伝統として受け取ったことや、楽器・史料から学び取ったことなどを演奏に生かし、その演奏活動の中で気がついたことをさらにそこに付け加えることで、この太い幹は出来上がっている。角度を変えつつこうした往還運動を記述すると、先述の4つの切り口が現れるというわけだ。
 往還運動の点でもっとも豊かな実を結んでいるのはやはり、「無伴奏チェロ組曲」の奏法を解説する第3部だろう。場合によってはとても微視的な題材にも踏み込むが、それさえもつねに大きな音楽論へと即座につなげていく。こうした視点の行き来によって読み手は、「演奏解釈」と称される心の持ちようや頭の使い方を追体験する。この追体験によって、聴き手も弾き手も歌い手もひとしく「音楽家」に近づくことができるだろう。


初出:音楽現代 2017年3月号






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