ドクメンタ14 ― カッセル&アテネ

 暑さ寒さも彼岸までという。こういった実感を持つのは日本人だけではない。ドイツでも同様に、キリスト復活祭を迎えれば人々は春の訪れを感じるし、聖霊降臨祭になれば初夏の到来を喜ぶ。それに音楽シーンやアートシーンが連動する。2017年の聖霊降臨祭は6月4日。それに合わせて各地の音楽祭や展覧会が、新シーズンを開幕させた。たとえばフランクフルト・アム・マインの現代美術館本館は、パフォーマンスアートの先駆けとして知られるアメリカの美術家、キャロリー・シュニーマンの大規模な展覧会を、5月末にスタートさせた(http://mmk-frankfurt.de/)。同じころ、フランクフルトから南に約30キロメートルのダルムシュタットでも、新たな展覧会「プラネット9」が始まった。同市のクンストハレには、17カ国以上の国々のアーティストの平面・立体・映像・インスタレーションなどが並ぶ。その多くは展示会場の空間に合わせて制作された(http://www.kunsthalle-darmstadt.de/)。
 初夏に始まるこうしたイヴェントのうち、今年もっとも注目されたのがカッセル・ドクメンタだ(http://www.documenta14.de/)。ドクメンタは5年に1度の大規模な現代美術展覧会で、ドイツ・ヘッセン州北部の街カッセルで開催される。2017年は「アテネに学ぶ」をテーマに、カッセル(会期・6月10日から9月17日)とギリシャアテネ(会期・4月8日から7月16日)とで、展覧会をはじめとしたさまざまなプロジェクトを展開している。

 興味深いのは、音楽関連の催しが多く用意されている点。同展覧会の記者発表会(6月7日、カッセル)でも、委嘱音楽作品のお披露目が行われた。シリア・ダマスクス生まれの作曲家でヴァイオリン奏者でもあるアリ・モラリーが登場、ロス・ビレルの委嘱作品シリーズ「フーガ」に寄せた自作を自ら演奏した(写真最上)。「フーガ」すなわち「逃げる」の語義に、移民問題で揺れる欧州の現状を落とし込む。モラリー作品のタイトルは《QUATRAIN》(四行詩)。パウル・ツェランの詩《死のフーガ》に基づくヴァイオリン独奏曲だ。楽章は《漂う煙》《僕らが飲んだ黒い乳》《ズラミート》《宙の墓》の4つで、フーガの主題は委嘱者のビレルが書いた。作品は従来の重音奏法などを多用しており、バロック期以来の独奏フーガの書法をほとんど逸脱しない。
 この作品の初演地自体はアテネ。そのことからも分かるように、多くの音楽イヴェントがアテネで催された。当方が滞在した6月下旬もさまざまな演奏会が用意されていた。19日夜はアテネ・コンサートホール・メガロンで、ドイツの作曲家ヤコプ・ウルマンのミニオペラ《Horos Meteoros》(2008〜9年)を紹介する一夜(写真中上)。この作品は「古代アテネの悲劇詩人エウリピデスアイスキュロスによる劇的一節」との副題を持つ。ウルマンの「静粛な音楽」シリーズのひとつだ。ソプラノ、オーボエ・ダ・カッチャ、アウロス、弦楽三重奏、打楽器、混声重唱の編成だが、奏者は一切、ステージに登壇しない。舞台裏など客席からは見えないところに各々陣取り、一貫して静かな音楽を奏でていく。作品は独唱と鐘の保続音で始まり、そこにさまざまなサウンドが継ぎ足されていく。打楽器しかり管楽器しかり。やがて混声の重唱も加わるが、響は厚くならず、遠くさまざまな方向から、か細く聴こえる。緩やかに変化しつつも、大きく形を崩すことはない。その「静寂を聴かせる」姿勢を、曲の最後まで保った。こうしたスタイルは、音を「より善く、より多く聴く」ためだという。

 翌20日アテネ・コンサートホール・メガロンで演奏会。フランスの作曲家エリアーヌ・ラディーグの《Naldjorlak I》(2008年)を、チェロのチャールズ・カーティスが弾く(写真中下)。作品のタイトルはチベット語で、悟りの瞬間を意味している。音楽はひたすら同じ音を鳴らし続けるものだが、そこにはいくつか、変化をもたらす工夫がなされる。たとえば重音で弾かれる2本の弦は、数ヘルツずらして調弦されており、そのまま演奏するとわずかな唸り(ウルフ音)を発生させる。奏者は時折、指板上でこのウルフを増やしたり減らしたりする。息長くクレッシェンドやデクレッシェンドをすることで、音に緩やかな稜線を描かせる。弦はおろかテイルピース・ワイヤやエンドピンまでも同じ音程に調律しているので、それらの部分を弾くこともある。同じ発音体のわずかな音程差や、発音体の異なる同じ音程など、全体を通して同じ音の微小な差異を突き詰めていく。これが50分ほど続くわけで、完遂したときはたしかに、悟りに近づいたような気さえした。

 コンサートホールのほど近く、市内の中心部にアテネコンセルヴァトワールがある。ここで21日、ギリシャの古歌と現代音楽とを組み合わせたコンサートが催された。ビザンツ時代の俗謡をひとり歌いながら、同所地下の展示空間をめぐる女性歌手。やがて聴衆を別の展示室へといざなう。聴き手はそれに従って移動し席に着く。そこで始まったのはヤコプ・ウルマンの《Solo II》(1992年)(写真最下)。ダフヌ・ヴィサント・サンドヴァルがファゴットを独奏した。ここでもウルマンの課題は「静寂の音楽」。奏者がファゴットに息を吹き込む音、吸い込む音、タンギングをする打突音、実音とそのポルタメントによって生じる微分音、消音器を入れた音、リードなしで吹く音など、さまざまな試みがなされるが、その音の変化は小さく音量はつねに最小限だ。奏者は図形楽譜に基づき、時計だけを頼りにこれを吹く。20時少し前に始まった独奏も、終わったのは21時を過ぎたころ。夏至の欧州の日暮れは遅く、おもてはまだ明るかった。



初出:音楽現代 2017年9月号


【CD】ヤコプ・ウルマン《Solo II》ほか


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