ブーレーズ他『魅了されたニューロン』(笠羽映子訳)

ピエール・ブーレーズ 他『魅了されたニューロン』笠羽映子訳, 法政大学出版局, 2017年

 パリのサン・ジェルマン・デ・プレに軒を連ねるカフェ。文学者や哲学者らがそこで議論を戦わせてきた。この書物はそんな人士のおしゃべりを思わせる対話篇だ。仮想カフェの席を温めるのは作曲家で指揮者のブーレーズ、神経生物学者のシャンジュー、ブーレーズの息子世代にあたる作曲家マヌリのフランス人3人。シャンジューが狂言回しとなり、さまざまな問題についてブーレーズに見解を問う。そこにマヌリがセカンド・オピニオンを挟んでいく。昨年亡くなったブーレーズにとって、最後の著作となった。
 話題の総数は57。特徴的なのはシャンジューが、第4の同席者をたびたび登場させることだ。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルソー、パブロフ、メシアンらの言葉を巧みに引用して、話しのきっかけを作る。こう聞くと難しい内容を想像しがちだが、必ずしもそうではない。持って回った言葉づかいは、フランス語話者の個性と解釈しておこう。
 音楽にまつわるさまざまな疑問に、生物学的な観点から斬りこむのが同書の身上。たとえば、「新しさ」を重視する芸術の姿勢をシャンジューは、人間の生理学的な反応から擁護する。新しい刺激に接すると人間は、感官の感度を上げ、頭部の血流を増やし、脳を覚醒させるのだという。それに対してブーレーズは、「新しさ」に対する興奮よりも、同じ動作を繰り返すことへの不快感を訴える。
 シャンジュー自身が言うように、「脳生物学が興味を持つ分子的あるいは細胞的なレヴェルと、他方の、音楽の(中略)知覚のレヴェルとの間には、飛び越え難い深淵が存在する」。だから、説得力が高いように感じられる先ほどの議論にも、美学と生理学とを結びつける根拠は、実のところない。とはいえこれを、カフェでの対話として捉えれば、そこには良質な知的ゲームとしての側面が見える。このカフェの5番目の客として臨席し、彼らの話に耳を傾けてみる。そんな読み方がこの書物の柔らかさにふさわしい。


初出:モーストリー・クラシック 2017年11月号





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