ロト&レ・シエクル《牧神の午後への前奏曲》他

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲 他◇フランソワ=クサヴィエ・ロト(指揮), レ・シエクル(管弦楽)他 〔KKC 5998〕

 ドビュッシーの没後百周年を記念するシリーズのひとつ。作曲当時の楽器を使ったピリオド・アプローチだ。CDとDVDのセットで、音だけでなく映像でも演奏の様子を知ることができる。CDには《牧神の午後への前奏曲》を、DVDには《民謡の主題によるスコットランド行進曲》を収録。バレエ音楽《遊戯》と《夜想曲》は両者に共通している(ただし録音時期と場所は異なる)。古楽器の楽団だからこそ、といった局面が随所にある。もっとも耳を引くのは管楽器のサウンド。威圧感はないけれど突き通す力の強い金管に、当時の管弦楽のバランスを聴く。木管それぞれの個性と、群としての調和とが相反することなく同居するのも興味深い。《牧神......》のフルートだけでも聴く価値がある。



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ヴァイケルト『指揮者の使命』

ラルフ・ヴァイケルト『指揮者の使命 — 音楽はいかに解釈されるのか』井形ちづる訳, 水曜社, 2019年

 どんな考え方にも階調というものがある。その位置するところにしたがって、ある人はリベラル派、ある人は原理主義者とされる。原理主義者は極端な主張をする急進派と見なされることもあるが、場合によってその立場は、当の考え方の基礎をきちんと主張する力強さを持つ。キリスト教であればそれを「福音派」と呼ぶことも。その伝でいけば、ラルフ・ヴァイケルトは「福音派」の指揮者と言ってよい。
 日本の管弦楽団にもたびたび客演するこのオーストリアの指揮者が、その仕事の内実を2017年、書物として発表した。『指揮者の使命』はその翻訳書だ。持つべき資質や取るべき経歴から説き起こして、楽譜、声を含む楽器、空間(演奏会場)、時間(歴史)、3作曲家の各論へと進む10章立て。専門的な議論も多少あるが、訳注が読解の手助けをしてくれる。
 著者は作曲家の書き残した楽譜を「聖書」と称し絶対視する。その点で彼は原理主義者だ。楽譜の内に生きる作曲家の主張をなるべく損なうことなく、いかにして聴き手に伝えるか。そこに焦点を合わせる。 
 大切なのはその態度が、高い職業倫理と具体的な行動とに支えられていること。テンポの揺れ動きの問題であれば、速めた(盗んだ)テンポは一定時間内に必ず遅める(返す)ことで、平均速度を守りつつズレによる緊張と再一致による緩和とを表す、と結論する。その結論を著者は、みずからの経験から導いた上で、さらに過去の音楽家の手紙や教則本などの証言によって裏付けていく。指揮にまつわるひとつひとつの問題点に、このようにさしあたりの答えを見つけていくわけだ。
 著者はその答えに絶対的な正しさは望めないと述べる。だからといって、そこに限りなく近づこうとする努力は放棄すべきではないとする。
 高邁な理想と行動規範とを扱う書物ながら、会話調の書きぶりによって議論への参加のハードルを下げている。指揮者との対話を疑似的に楽しめる一冊。


初出:モーストリークラシック 2019年12月号



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「めぐりあう時」(オルガン:吉田愛&アレックス・ガイ)

「めぐりあう時」吉田愛, アレックス・ガイ(いずれもオルガン)〔WAON CD-350〕

 大分のルーテル教会に納められた楽器による18世紀オルガン曲集。足鍵盤と2段の手鍵盤、10の音栓に664本のパイプを備える楽器は決して大規模ではないが、このくらいの大きさだからこそ味わえる音楽がある。たとえばバッハのコラール「目覚めよと呼ぶ声あり」。いくぶんか音圧を犠牲にする代わりに、すこぶる柔和な楽想が顔を出す。一方、パッヘルベルの変奏曲では、楽器の躯体の小ささからは想像しがたいほどに、さまざまな音色の変化と緊張感の推移とを聴くことができる。これは奏者が相応しい音栓を選択している上、旋律に句読点を適切に打つおかげ。中音域から上の笛(パイプ)の音がとりわけ美しいことも、音楽の表情づくりに寄与している。



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水谷彰良『サリエーリ』(新版)

水谷彰良『サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長』(新版), 復刊ドットコム, 2019年1月

 吉良上野介はわれわれが思うほど悪辣ではなかったという。芝居の敵役として描かれる姿は大げさなようだ。吉良上野介本人と『仮名手本忠臣蔵』の高師直(吉良役)とは、人物像の点で必ずしも一致するわけではない。
 西洋音楽史にもそんな人物がいる。アントニオ・サリエリ、その人である。18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて活躍したイタリア人作曲家で、ウィーンの宮廷楽長にまで上り詰めた。しかしその晩年、モーツァルト毒殺の嫌疑をかけられる。後世の戯曲や映画が、そのたちの悪い噂を世に広めた。
 この本は2004年刊行書の復刊。問題含みのサリエリの生涯を、彼の音楽作品に寄り添いながら描き出す。全体は年代記7章に、現代のサリエリ演奏と研究に関する補章を加えた8章立て。全作品目録や年譜なども付く。作曲家の事績を手紙や証言から再構成し、そこから作品紹介へ。さらに作品受容の様子を探り、社会史にも目配せをする。おおむねこのスタイルで各年代のサリエリ像を彫り出す。
 読み手は砂を噛むような読書を強いられる。ただ、その砂がじつに味わい深い。砂を噛むような、というのはこの書が、史料の語るところを連ねるため。データ集の趣きが強い。味わい深い、というのは史料がときおり、サリエリの人となりを色濃く反映するため。たとえば、ウィーン・グラーベン通りのレモネード屋で、弟子たち(そこにはシューベルトが含まれる)にアイスクリームをごちそうしたり。
 サリエリ伝にとって、モーツァルトとの関係は避けて通れない話題ではある。毒殺説を正面からきれいに否定するのは難しい。だが、無実を裏面から照射する証拠には事欠かない。スヴィーテン男爵主宰の日曜演奏会で、モーツァルトのピアノ伴奏のもと、サリエリらウィーンの音楽家たちがバッハやヘンデルの歌を楽しげに歌う。この書物には当時の音楽文化のネットワークを知るのに有用な話題が、豊富に盛り込まれている。


初出:モーストリークラシック 2019年5月号



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ミュンシュ&フランス国立放送管弦楽団1966年東京ライブ

ミュンシュ&フランス国立放送管弦楽団1966年東京ライブ◇シャルル・ミュンシュ(指揮), フランス国立放送管弦楽団(管弦楽)〔KKC 2174〕

 半世紀以上前の演奏会を記録した実況録音。プログラムはすべてフランスの作曲家によるもの。ミュンシュは管楽器と弦楽器とを音響上、対比させて、そのコントラストで作品の構造そのものを語ろうとする手筋をとる。それがドビュッシーの《海》では効果を上げない。確かに楽譜は対比的に書かれているが、それはサウンドの対比というよりも語り口の対比。響きは融け合っていたほうが語り口のコントラストは映える。一方、フォーレの《ペレアスとメリザンド》ではミュンシュ流が功を奏す。融け合う楽想の波に埋もれた対比を掘り起こすからだ。ルーセル交響曲第3番にいたり、作品とミュンシュの戦略が完全に呼応する。なるほど、後世に伝えたい演奏である。



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Web音遊人にて出開帳!タカーチ弦楽四重奏団

 ヤマハYAMAHA)のサイト「Web音遊人 みゅーじん」に演奏会のリポートを寄稿しました。対象はタカーチ弦楽四重奏団(2019年9月26日 銀座ヤマハホール)。以下のリンク先でどうぞ。乞うご高覧。

メンバーは替わっても、その演奏の柱は決して揺るがない



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朝日新聞にて出開帳!批評「山田和樹&日本フィルハーモニー交響楽団」

 朝日新聞(2019年9月26日付夕刊舞台面)に批評を寄稿しました。対象は山田和樹&日本フィルハーモニー交響楽団(2019年9月6日 サントリーホール)。以下のリンク先でご覧になれます。乞うご高覧。

(評・舞台)山田和樹&日本フィルハーモニー交響楽団



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読響『月刊オーケストラ』にて出開帳!

 読売日本交響楽団プログラム誌『月刊オーケストラ』2019年8月号にエッセイを寄稿しました。タイトルは「最後の交響曲が語る、作曲家の生と死と理想」。以下のリンク(PDF)からどうぞ。乞うご高覧。


読売日本交響楽団プログラム誌『月刊オーケストラ』2019年8月号



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Web音遊人にて出開帳!バッハ チェンバロ協奏曲全曲演奏会(2)

 ヤマハYAMAHA)のサイト「Web音遊人 みゅーじん」に演奏会のリポートを寄稿しました。対象は鈴木優人&バッハ・コレギウム・ジャパンBCJ)の「バッハ:チェンバロ協奏曲全曲録音プロジェクト Vol.2」(2019年7月27日 銀座ヤマハホール)。以下のリンク先でどうぞ。乞うご高覧。

音楽の“布地”を織り出す、それぞれに個性的な“糸”



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朝日新聞にて出開帳!批評《オルフェオ物語》

 朝日新聞(2019年8月22日付夕刊舞台面)に批評を寄稿しました。対象は濱田芳通&アントネッロの音楽劇《オルフェオ》(2019年8月15日 川口総合文化センター)。本紙第2面、または以下のリンク先でご覧になれます。乞うご高覧。

(評・舞台)「オルフェオ物語」



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