ヴァイケルト『指揮者の使命』

ラルフ・ヴァイケルト『指揮者の使命 — 音楽はいかに解釈されるのか』井形ちづる訳, 水曜社, 2019年

 どんな考え方にも階調というものがある。その位置するところにしたがって、ある人はリベラル派、ある人は原理主義者とされる。原理主義者は極端な主張をする急進派と見なされることもあるが、場合によってその立場は、当の考え方の基礎をきちんと主張する力強さを持つ。キリスト教であればそれを「福音派」と呼ぶことも。その伝でいけば、ラルフ・ヴァイケルトは「福音派」の指揮者と言ってよい。
 日本の管弦楽団にもたびたび客演するこのオーストリアの指揮者が、その仕事の内実を2017年、書物として発表した。『指揮者の使命』はその翻訳書だ。持つべき資質や取るべき経歴から説き起こして、楽譜、声を含む楽器、空間(演奏会場)、時間(歴史)、3作曲家の各論へと進む10章立て。専門的な議論も多少あるが、訳注が読解の手助けをしてくれる。
 著者は作曲家の書き残した楽譜を「聖書」と称し絶対視する。その点で彼は原理主義者だ。楽譜の内に生きる作曲家の主張をなるべく損なうことなく、いかにして聴き手に伝えるか。そこに焦点を合わせる。 
 大切なのはその態度が、高い職業倫理と具体的な行動とに支えられていること。テンポの揺れ動きの問題であれば、速めた(盗んだ)テンポは一定時間内に必ず遅める(返す)ことで、平均速度を守りつつズレによる緊張と再一致による緩和とを表す、と結論する。その結論を著者は、みずからの経験から導いた上で、さらに過去の音楽家の手紙や教則本などの証言によって裏付けていく。指揮にまつわるひとつひとつの問題点に、このようにさしあたりの答えを見つけていくわけだ。
 著者はその答えに絶対的な正しさは望めないと述べる。だからといって、そこに限りなく近づこうとする努力は放棄すべきではないとする。
 高邁な理想と行動規範とを扱う書物ながら、会話調の書きぶりによって議論への参加のハードルを下げている。指揮者との対話を疑似的に楽しめる一冊。


初出:モーストリークラシック 2019年12月号



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