ドレスデンのターフェルムジーク

〔架空の対話〕
ハインホーファー「おや、どこからか軽やかなヴァイオリンの響きが聴こえますな」
アルブリーチ  「お気づきですか。あれは選帝侯お気に入りの音楽家たちの演奏です」
ハインホーファー「しかし、演奏をする姿が見えませんが」
アルブリーチ  「ええ。実はこのホールの天井近くに隠し部屋がありましてね」
ハインホーファー「なるほど、そこでのアンサンブルが聴こえてくるわけですか!」
アルブリーチ  「すてきでしょう?作るのにはずいぶんとお金が掛かりましたが……」

〔人物〕
ヨハン・ゲオルク2世(1613-80)
ドレスデンを中心にドイツの中部から東部を治めたザクセン選帝侯(在位1656-80)。戦争で荒れてしまった国の復興に努力した。でも本当に心を寄せていたのは美術や音楽。だから当時のドレスデンには、優秀な音楽家がたくさん集まっていた。彼らの音楽に包まれて選帝侯は幸せ。でも国にはたくさんの借金が残った。


音楽を楽しむためなら部屋にも工夫をこらす

 心地よい音楽が演奏される中、身なりの整った紳士淑女がおいしい料理やお酒に舌鼓を打つ。この「心地よい音楽」はいわゆるBGM。食事や会話を存分に楽しむための気の利いたスパイスだ。こうした音楽をヨーロッパでは「食卓の音楽(ターフェルムジーク)」と呼ぶ。「食卓の音楽」は「サロンミュージック」の源流のひとつと言ってよい。
 さて17世紀、ドイツ東部ザクセン選帝侯国の首都・ドレスデンのお話。北ドイツ・ポンメルン宮廷の役人ハインホーファーの見聞録によると、ヨハン・ゲオルク2世の宮廷にはこんな食堂があった。
 「(ホールの)各絵画のうしろには空間があり、そこで音楽を演奏することができる。このホールで食事をする場合、音楽家は下の階の部屋に控えることもできる。扉は閉められ、響きは通風孔を通って楽しげに上ってくる。さらには天井の下に隠れて演奏する場所もあり、まさに32の異なるところから音楽が鳴り響く。」
 BGMひとつに隠し部屋までしつらえるとは、大層なこりよう、と僕らは考えがち。でも、この「BGMひとつに」というところに誤解がある。交響曲を聴くためにコンサートホールへと足を運ぶことに慣れた現代人にとって、食事のBGMとは取るに足らない音楽のように思える。でもバロック期のヨーロッパでは、「食卓の音楽」は音楽のメインストリームのひとつだった。
 「教会用、食卓用、劇場用作品のいずれも、命じられるままに勤勉に、自作あるいは他人の作品をもって仕えるべきである。」
 楽長としてドレスデン宮廷に雇われたアルブリーチが、就任に際して署名した契約書(1656年)の一節には、音楽の3つの用途がはっきりと書いてある。あらゆる音楽が、大小さまざまなイヴェントに奉仕する「機会音楽」だった当時、「食卓の音楽」= BGM は僕らが考えるよりもずっと重要なものだった。だから、その器である食堂にこった音響装置を設置するのは当然で、音楽家は「食卓の音楽」に本気で取り組むことが求められた。
 こうした「食卓の音楽」の伝統が、サロンミュージックへとつながっていく。音楽はもちろんのこと、料理にお酒、部屋の調度に楽器の状態。くつろいだイメージのある音楽サロンだけれど、お客様を迎えるほうにとってはことのほか大変なことだったのかもしれない。


〔CD〕
テレマン《ターフェルムジーク》全3集〔DG COLLECTORS 4778714〕
ラインハルト・ゲーベル(指揮), ムジカ・アンティカ・ケルン(管弦楽
「食卓の音楽」といって真っ先に思い浮かぶのは、後期バロックの大音楽家テレマンの《ターフェルムジーク》。独奏ソナタ、トリオソナタ、四重奏曲、協奏曲、管弦楽曲をひとまとめにし、それを3セット、作曲した。18曲すべての楽器編成がそれぞれ違っていることに驚かされる。音楽から当時の宴を想像するのもまた楽しい。




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