かげはら史帆『ベートーヴェン捏造』

◇かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 — 名プロデューサーは嘘をつく』柏書房, 2018年

 想像力は敏感さと鈍感さの両翼を持つ。正確に言うと、鈍感さに対して敏感でなければならない。たとえば演奏の現場。奏者は音楽に通じていて敏感だから、響きの微細な変化の内に、情緒の大きな推移を感じることができる。一方、聴き手が奏者と同じだけの情動を得るには、演奏に多少、誇張がなければならない。だから奏者は、聴き手の鈍感さに思いをいたす必要がある。
 19世紀の音楽家アントン・フェリックス・シンドラーは、ベートーヴェンの伝記を編むにあたり、こうした想像力を大いに発揮した。本書の著者かげはら史帆も、シンドラーの一連の仕事を記すにあたり、同様の想像力を発揮したようだ。
 シンドラー1820年代の初めにベートーヴェンの秘書となった。その経験を生かして作曲家の伝記をものする。依拠した資料は「会話帳」。失聴したベートーヴェンの筆談ノートだ。話し相手は伝えたいことを書いて作曲家に見せる。作曲家は発話してそれに答える。ノートには話し相手のメッセージが延々と連なる。ベートーヴェンの声は行間に聞こえるのみ。
 シンドラーはそこに目をつけた。話し相手の書き付けた言葉を改竄すれば、ベートーヴェンの意図を捏造することができる。作曲家の不名誉な履歴は消え、業績はいっそう際立つ。それをもとに伝記を書けば、鈍感な読み手もベートーヴェンの偉大さに気持ちよくひれ伏すだろう。シンドラーはそう考え、実際に「会話帳」を改竄した。世間はまんまと騙された。
 この改竄問題は40年前に決着済み。ただ、専門家にとっての当たり前が、世間にとっても当たり前とは限らない。著者は専門家の議論を誇張することで、これを一般の読み物として成り立たせた。事実の間をファンタジーで埋めるのは、シンドラーの手口と同じ。ただし、かげはらの誇張はギリギリのところで踏みとどまる。その崖っぷちの書き振りで著者は、シンドラーの心象に肉薄している。キケンな書物。 


初出:モーストリー・クラシック 2019年1月号



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