ケーテン・バッハ音楽祭2014(1)



 1717年ヨハン・ゼバスティアン・バッハはアンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷に楽長として招かれた。当時のドイツ語圏の音楽家にとって宮廷楽長は、キャリアの頂点を意味していた(もちろん宮廷の大小や家格の高低はあれど)。32歳にしてバッハは、そのヒエラルキーの最上段に立ったことになる。
 宮廷楽長は宮廷楽団の長であるというだけでなく、宮廷全体の中でも高い位にあった。バッハがケーテンの宮廷楽長として受け取っていた年俸は400ターラー(=457フロリン)。これは宮廷第2の地位である侍従長の年俸よりも高額なのだ。
 ケーテンでバッハを待っていたのは、なにも最高のステイタスと高額な報酬だけではない。そこには当代随一の宮廷楽団があった。当時のケーテン領主レオポルト侯は大変な音楽好きで有名。あるとき、ベルリンの宮廷楽団に大量の解雇者が出たことを耳にする。プロイセンの「軍人王」フリードリヒ1世が即位したことで、人員整理の対象となったのだ。
 レオポルト侯はチャンスとばかりに、名手ぞろいだったベルリン宮廷楽団のメンバーを雇い入れる。こうして、アンハルトの小侯国にプロイセン王国並みの宮廷楽団が組織されることとなった。その最後の仕上げが、宮廷楽長にバッハを迎えることだった。

 そんなゆかりを大切に、この小さな街は1967年来、バッハ音楽祭を続けてきた。今年は25回目の開催。レオポルトがベルリンの宮廷楽師たちを呼び寄せたのと同様に、この音楽祭は世界中の腕っこき音楽家を集める。今年のオープニング・コンサートには、隣国フランスからミンコフスキとレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブルの面々が登場。バッハの《ロ短調ミサ曲》を披露した。10人の声楽アンサンブルで独唱も合唱もまかなうミンコフスキお得意の方式だ。

 メンバーが10人(3S, 3A, 2T, 2B)と言っても、合唱の楽章をつねに10人で歌うわけではない。場合によっては4人や5人、つまり1つの声部にひとりの重唱だったり、声の細いソプラノだけ複数にして、あとは各パートひとりだったり。それから10人で合唱を担当する時も、コンチェルトグロッソのように独唱と総奏とに分けてみたりもする。
 こうした少人数や細かいパート設定の狙いはいくつかあって、(1)合唱の精度(パート内の音程やリズムの同調性)や(2)機動性(対位法楽章を高速で飛ばす場合など)を高め、(3)オルガンのレジスター(音色変換機構)を変えるように、合唱の音色を変化させるため、といったことが考えられる。
 (1)は端的に成功していない。音程やリズムの感じ方はそれほど揃っていない。たとえば、より大人数のモンテヴェルディ合唱団のほうが、その点は何倍も精度が高い。練度が足りないとも言えるし、不揃いを不揃いとして「泳がせている」ともとれる。同調性の高さは少人数方式の強みのひとつとなるはずだから、「泳がせる」積極的な意義は感じない。
 また(3)のレジスター転換も、細かい工夫の割にあまり成功していない。歌手自身にそういう思考法が浸透していないようで、指揮者の思惑とは裏腹に、パート設定の工夫は単なる「パズル」のようにしか見えない。これはオーケストラにも責任があって、コラパルテが少し下手っぴいなのだ。古楽器は持っているが音色がモダン寄り。弾き方がモダン風の奏者が多いからだ(とりわけ弦楽器)。声楽曲を演奏する際の古楽器アドヴァンテージは、音色が声に近く、声楽と声部重複(コラパルテ)する時の溶け合いが高度に実現する点。これを取りこぼすような演奏なので、声楽をうまく下支えできない。
 (1)や(3)の問題は、いままさに取り組んでいる課題、ワーク・イン・プログレスに属する事柄なのだろう、と想像する。
 一方、(2)機動性の高さは半分ほど成功した。(1)や(3)の問題の「根」と同様、精度の点に若干のキズがあるので、崩壊寸前のヒヤヒヤする瞬間もある(ミンコフスキがリハーサルよりも速いテンポで振った可能性もある。奏者がびっくり顔をする場面も)。でも、そのスリルが緊張感の醸成に役立つ。
 もっとも素晴らしかったのは「聖なるかな サンクトゥス」。ひとりひとりの声の質が透けてみえる声楽アンサンブルが5人ずつ、ふたつの合唱体に分かれる。和弦的な響きに神々しさはないがとても肉感的で、それが逆に、地からわき上がる「感謝の祭儀」をとてもよく表す。二重合唱の掛け合いでも、歌い手同士のほどよい張り合いぶりが、「天使の歌」でなく「人間の歌」の趣を醸す。ミサ曲全体の「核」を「感謝の祭儀」に持ってくる解釈に、個人的にはとても好感を持っている。
 いずれにしても、指揮者の工夫は真っ当で、その求めは高度だが、声楽はもちろん器楽もそのレヴェルに達していない部分がちらほら。このミンコフスキの声楽アンサンブル方式は、まだまだ発展途上(でないと困る)。少なくとも《ロ短調》に関しては、演奏家の水準を上げたうえでの再演が聴きたい。


写真:(上)ケーテン・バッハ音楽祭の歴史▼(下)ミンコフスキ&レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル=グルノーブル(2014年9月3日, ケーテン・ヤコプ教会)

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