ケーテン・バッハ音楽祭2014(2)



 西洋音楽の世界で今、もっとも真っ当な音楽家のひとり、イザベル・ファウスト。音楽祭2日目は彼女のソロ・ヴァイオリン・リサイタルで幕を開けた。
 バッハの《無伴奏パルティータ第3番 ホ長調》で始まり、クセナキスの独奏ヴァイオリンのための《ミカ》とバッハの《無伴奏ソナタ第1番 ハ長調》とを続けて演奏。さらにクルターグの《サイン, ゲームとメッセージ》から「バッハ頌」「ドロローサ」を含む5曲を紹介したのち、またもアタッカでバッハの《無伴奏パルティータ第2番 ニ短調》へ。これらを休憩なしで弾き切った(聴き切った!)。
 楽器は現代仕様で、弓はバロックとモダンとを用意。バッハと現代曲とで持ち替える。序奏代わりの《ホ長調パルティータ》でファウストは、この日の手の内を大胆にもすべて明かしていく。音域によって異なる音色、拍の力動に添う弓の上下、彫りの深い和声の緊張と緩和、文意をはっきりとさせる適切な句読点。磨き抜かれた基本事項が、シンプルにみえる単旋律から複数の登場人物の対話を引き出したり(音色の差異や句読点)、「身体の伸縮」や「跳躍と着地の力学」といった舞曲のリズムの芯を大づかみにしたり(上下弓の力動性)。緊張と緩和の彫りの深い表現は、埋め草としての和音がなくても、そこに和声の確かなニュアンスを感じさせる。
 いきおい《シャコンヌ》に耳が向かいがちだが、この日は演奏者も聴衆も、クセナキスの《ミカ》からバッハの《第1ソナタ》への流れで高い集中力を発揮した。《ミカ》は冒頭から、舟を漕ぐような楽想が支配的。ファウストの演奏ではポルタメントの連続が実に滑らかな上、そこに音域による音色変化が伴うので、聴き手は温度を変化させつつうねる波の中にいるような感触。
 そうした楽想を《第1ソナタ》のアダージョが受け継いでいく。圧巻はフーガ。《ホ長調パルティータ》で示された手の内がここで総動員される。ファウストは主題を示す部分だけでなく、その展開部分にこそ聴き手の耳を導く。音色・句読点・力動性・和声が、何人もの登場人物を描き分け、彼らに口角泡を飛ばして議論させたり、優しく慰め合いをさせたりするのだ。
 フーガの高いヴォルテージは、続くラルゴでクールダウン。といっても奏者は聴き手に冷や水を掛けるわけではなく、地熱を保ちつつゆっくりと気持ちを落ち着かせる。遅い楽章でさえ、拍節の力動性がつねに身体を刺激する次第。終楽章のアレグロ・アッサイが、再び会場に生気を注ぎ込んで、音が内陣に消える。途端に万雷の拍手とブラボーが会場を飛び交った。これでまだ前半である。
 後半の素晴らしさは言うまでもない。作品理解、表現意志、その実現に必要な技術、会場などの環境になじむ即応性。すべての音楽家が備えるべき基本を、ひたすら磨き上げていくファウストの演奏に、浸り切ったマチネ。


写真:イザベレ・ファウスト(2014年9月4日, ケーテン・アグヌス教会)


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