ライプツィヒ・バッハ音楽祭2013(6)


 バッハにとって「コレギウム・ムジクム」の指揮者 / 座付作曲家は、ライプツィヒ時代の重要な仕事のひとつ。コレギウム・ムジクムはセミプロの音楽団体で、メンバーライプツィヒの大学生が中心だ。1729年、バッハはこの団体の指揮者を引き受ける。当時、ライプツィヒには大小2つのコレギウム・ムジクムがあった。バッハはそのうち大きい方の団体をまかされ、音楽監督として活躍した。
 2つのコレギウム・ムジクムはどちらも、ライプツィヒ市内のコーヒーハウスなどで定期的に演奏をしていた。バッハのコレギウム・ムジクムはツィンマーマンが主催する演奏会に出演。冬場は金曜日の夜にツィンマーマンのコーヒーハウスで、夏場は水曜日の夕方に同氏のコーヒー庭園(屋外)で演奏会が催された。


 19日はラインハルト・ゲーベル率いるヘルシンキバロック・オーケストラが、ヴァイオリンのイザベル・ファウストを独奏に迎えライプツィヒ・バッハ音楽祭に登場。ゲヴァントハウス・メンデルスゾーンザールで、バッハらの器楽曲を披露した。今年は「キリストの生涯」がテーマである上、もともと教会音楽寄りのプログラムを組むこの音楽祭。器楽曲の特集公演はとても貴重だ。しかも当夜は、コレギウム・ムジクムでバッハが演奏したとされる作品が並ぶ。
 コレギウムには夏の野外公演と冬の屋内公演とがあることは先述の通り。今回はプログラムの最初と最後を野外公演用の管弦楽曲2曲で固め、その枠の中にヴァイオリン協奏曲系統の3曲を入れ込んだ。
 野外用はヨハン・フリードリヒ・ファッシュ(1688-1758)の《序曲 ト長調》FWV K: G5 とバッハの《シンフォニア ヘ長調》BWV1046a [1071](ブランデンブルク協奏曲第1番BWV1046の初期稿)。なんといってもナチュラル・ホルンの音色が両曲を特徴付ける。不協和音が本当に刺激的なほど不協和だから、その反動で協和音のもたらす安心感も大きくなる。
 そこにフォルテとピアノの表現が密接に結びつく。と言っても「強弱法」というのとは少し違う。誤解を恐れず言えばどちらも「力強さの表現」。片方は「体当たりの迫力」であり、片方は「細い針の貫通力」(音量の多少はこれらを表現するための一手段)。ホルンがもっとも自然に発音すると、この「体当たりの迫力」がよく出る。ゲーベルは他パートの音勢や音量をホルンの水準に合わせて曲を作るから、ホルン奏者が縮こまることなく「体当たり」するのだ。これは野外で聴いたらたいそう気分が良いに違いない。コレギウム・ムジクムの演奏もかくや。

 間に挟まる3曲はいずれも独奏ヴァイオリンを要する作品で、タイトルはまちまちだが実質的には全てヴァイオリン協奏曲。組曲の体裁を採るヨハン・ベルンハルト・バッハ(1676-1749)《序曲 ト短調》、ヴィヴァルディ風3楽章制のバッハ《ヴァイオリン協奏曲 イ短調》BWV1041、刻々と変化しながら進む多楽章のピエトロ・アントニオ・ロカテッリ《合奏協奏曲 変ホ長調》作品7-6 が順に演奏された。
 協奏曲としてはヴィヴァルディ風のBWV1041が洗練されているけれど、同時に存在した協奏曲ヴァリアントとしてのベルンハルト・バッハやロカテッリ作品がとても面白い。とくにロカテッリの《合奏協奏曲》では、声楽やオルガン音楽のスタイルが随所に顔を出す。たとえば緩徐楽章(AdagioやLargo)はレチタティーヴォ(朗唱)風。語り物の風情だ。また各所に非和声音(不協和な音が「たすきがけ」で綱渡りをしていくような書法)が出てきて、オルガンの和音の推移を思わせる。
 そういった部分が即座に「あ、オルガン風だな」「お、歌から語りに入ったぞ」といった感興につながるのも、ゲーベルやヘルシンキバロックの面々、そしてファウストが、オルガン音楽や声楽を含む18世紀音楽全体を視野に収めているからだ。歌の技法も鍵盤楽器の技法も、はたまた弦楽器の技法も管楽器の技法もすべて、重なり合いながら緩やかに統合されていたのがバッハ時代の音楽。そういった視点からしか、当夜の演奏は生まれない。
 ファウストの弓づかいにはそういったことがよく表れていた。下げ弓と上げ弓がそのまま「落下と投げ上げの運動性」を示す。それは歌や管楽器で言えば「息の速度と細さ太さ」につながるし、鍵盤楽器で言えば「鍵盤の離し際の技法」に関係する。だから時に歌を、時にオルガンを表現することもできる。 
 こうした内実をしっかりと調えた上でこの日の演奏者は、たとえばBWV1041の第2楽章を♩=112(!)で演奏する。「爆速」だ。「爆速」だけれど、押さえるべきところは全て押さえてある。ゲーベルは一般道でスピード違反をしているのではない。すでにアウトバーンを走行しているのだ。「演奏の自由」の一例がここに現れている。
 こうした演奏が楽しくないはずがない。ムジカ・アンティカ・ケルンを聴いて青春時代を過ごした身には、この「内実のある刺激」こそバロックの魅力だ、という思いが強い。バッハ音楽祭、今度はこの取り合わせで野外演奏を!


写真:ファウスト(中央左)、ゲーベル(中央右)とヘルシンキバロック・オーケストラ(2013年6月19日 ゲヴァントハウス・メンデルスゾーンザール)