ライプツィヒ・バッハ音楽祭2013(4)


 バッハ向きのテノールについて考える。色男でも王子様でもない「立派なテノール」が必要だ。受難曲での福音史家はもちろんのこと、数々のカンタータやミサ、とりわけ《ロ短調》を歌うのには「品行方正」なほうがよい(もちろん私生活は問わない・笑)。ひとつの理想型は口跡がよく、声質としては「どこまでも高く舞い上がるバッソ・プロフォンド(最深バス)」。そんな「バッハ・テノール」が16日、旧証券取引所のステージに登場した(#027)。例によって「有望若手枠」のリサイタルだ。


 ダーヴィド・シゲトヴァーリ(Dávid Szigetvári [写真右])。ハンガリーテノール歌手。2012年のバッハ国際コンクールで第1位を獲得(先日のディッタ嬢と言い、ハンガリー勢の活躍が目立つ。数年前のロシア勢のよう)。このたびはロベルト・シュレーター(チェンバロ)を相棒に、パーセルヘンデル、そしてバッハの歌曲を取り上げた。そこに、ところどころムファットやヘンデルチェンバロ曲が、楔のように打ち込まれる。

 このプログラム、「取り上げた」とひとことで言うのはもったいないほど練られている。全体で「キリストの生涯」を示す構成。これだけなら欧州の音楽家がよくやる手ではあるけれど、二人の若手はそこに「ひと捻り半」のツイストを加えた。コンサートは歌による3部分からなり、1・2部、2・3部それぞれの間にチェンバロの独奏が入る。

 ヘンリー・パーセル(1659-1695)の《薔薇よりも芳しく Sweeter than roses》,《狂おしい愛より逃れようとあがき I attempt from love's sickness to fly in vain》,《刹那の音楽が Music for a while》,《音楽が愛の糧ならば If music be the food of love》,《日が自らの光を覆うと Now that the sun hath veil'd his light》で「キリストを待ち望む」気持ちを歌う第1部。

 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)の《愛の苦き実 Quando è parto dell'affetto》(信仰告白)、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《忠実であれ Sei getreu》(弟子の帰依),《耐え忍び Geduld》(迫害),《時が佳くても悪くても、イエスJesu, lass durch wohl und weh》(十字架),《エレイソン Erbarme dich》(祈り)で「キリストの受難」を表現する第2部。

 そして、ヘンデルの《新たな驚きが Di quai nuovi portenti》《海より日が昇り Ecco il Sol》, バッハの《黄金に輝く太陽が Die güldne Sonne》によって「復活」を示唆する第3部。

 第1部と第2部の間にはチェンバロ独奏で、ゲオルク・ムファット(1653-1704)の《パッサカリア ト短調》が、第2部と第3部の間にはヘンデルの《シャコンヌと21の変奏 ト長調》HWV435 が置かれる。どちらも「変奏曲」で、姿が刻々と変わる様子を表す。つまり始めの《パッサカリア》は「キリストが人間の体を受けること」、後の《シャコンヌ》は「キリストが埋葬されること」を表す。

 つまりプログラムは「待降」「受肉」「受難」「埋葬」「復活」の流れを、歌曲とチェンバロ曲を組み合わせて表現している。しかも、第1部でキリストを太陽に喩え、日は沈んでも再び昇ることを示唆、その伏線を第3部できちんと回収する周到さ。

 この知的で、深い信仰心を思わせる構成の時点ですでに、たいそう感心してるのだけど、これを件の「バッハ・テノール」が歌うのだ。感興は深まるばかり。太く、明るく、高く、落ち着いたテノール。声は大きいけれど、決してうるさくない。英語の流れ、伊語の明るさ、独語のリズムが心地よい。バロック期の表現技法の細かい網目を素直にたどりながら、フリーハンドになったときには躊躇なく自分の「立派さ」を前に出す。声を出す前の雰囲気づくりや恵まれた容姿も、表現の幅を広げるのに寄与している。

 こういう人(しかも若い人)が、先述のような凝りに凝った、音楽好きの心のひだにじわりと入り込むプログラムを歌ったのだ。舞台を終え、主催者から薔薇を贈られたダーヴィド。それを手に歌ったアンコールは、1曲目の《薔薇よりも芳しく》!会場がため息まじりの、これ以上なく上品な笑いに包まれたのは、バッハ音楽祭でもそうそうない瞬間だった。


追記:ちなみに「流れ」はよいけれど、英独伊の「発音」がおかしいところはたくさんあった。そういうのはご愛嬌。
写真: シゲトヴァーリ(右)とシュレーター(16日, ライプツィヒ証券取引所

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