ライプツィヒ・バッハ音楽祭2013(2)


通奏低音が「言葉」を育てる

 バッハ音楽祭には「若手演奏家育成枠」のコンサートがある。連日、午前11時半から旧証券取引所で行われるもので、各地の国際コンクールで入賞実績のある音楽家がステージに立つ。このシリーズに通っていると思わぬ「掘り出し物」に出会えることもあり、隠れた人気企画でもある。

 15日も大勢のお客さまで席が埋まる。バッハの《無伴奏チェロ組曲》第1番(BWV1007)と第4番(BWV1010)とでブリテンの《チェロ組曲 第3番》作品87 を挟み込むプログラム。演奏はディッタ・ローマンで、彼女は2012年バッハ国際コンクールのチェロ部門第2位の受賞者だ。
 バッハとブリテンとでスタイルの違う弓を持ち替えるのはもちろん、流行の「お飾り」ではなく、きちんと演奏スタイルを踏まえてのこと。18世紀にせよ20世紀にせよ、弓の上げ下げの力動性が、音楽の欠くべからざる要素であることを心得ている。それは当然、演奏に現れてきて、ボールの投げ上げや落下に喩えることができるような「弓の運動の軌跡」が音として響く。そういった弓の運動に導かれる分節法(音楽の「句読点」の技法)は合理的で、バッハではきちんと18世紀的、ブリテンではやはり20世紀的。
 それにも関わらず感じられる「バッハでのいたらなさ」はいったい何か?すぐに思い浮かぶのは「通奏低音経験の浅さ」だ。たとえばローマンは、とりわけ単旋律から「対話の楽想」を引き出すことに成功していない。登場人物それぞれの輪郭がはっきりしないのだ。くだんの場面をたとえば音の強弱で表現しても、「独り言」を大きい声で言うか小さい声で言うかの違いに過ぎない。必要なのは複数の登場人物を描き分けること。
 この問題は子音、つまり出だしの音の種類が不足していることに由来している。子音の数が増えないのは、(少なくとも18世紀の)音楽を芯から「言葉」だと考えていないから。チェロ奏者が「音楽=言葉」という考えにいたるきっかけは「通奏低音奏者のとしての経験」であることが多い。当時の作曲家が、器楽/声楽を問わず作品に仕組んだ修辞学的な、はたまた音楽”対話”的な手練手管を表現するためには、少なくとも言葉と同じだけの子音の種類が通奏低音にも必要だ。
 そういった通奏低音経験を経て、体感的に「音楽=言葉」の境地にいたったチェリストは、内実のあるバッハを演奏する。自分の楽団「アマリリス」を結成してチェロを弾いたオフィリー・ガイヤールもそのひとり。彼女もバッハ国際コンクールの入賞者。2006年のライプツィヒ・バッハ音楽祭で最高水準の《無伴奏チェロ組曲》を聴かせてくれた。つまりディッタ・ローマンも、これからの経験次第でガイヤールの水準に到達できる見込みが高い。様式に対する眼差しを持っているのだから、あとは経験を積むのみ。まさに発掘枠の演奏会に相応しく、「将来性」を若手演奏家に感じた次第。

写真:ディッタ・ローマン(15日, ライプツィヒ証券取引所