ため息を誘うヴァイオリニスト -- 浅井咲乃さん



 「弾いていないように見える」-- 学生時代の浅井咲乃さんを評した言葉。どちらかといえば批判めいた評価に違いない。でも、いまの彼女にとっては最高のほめ言葉のひとつだろう。肘をぐいと上げた右腕で弓を持ち、肩と顎とで楽器を強く挟み込み、時に悶えるような表情で演奏することを善しとする世界。そこに棲むヴァイオリニストにとって、楽器の構造に従順で、身体的に無理のない浅井さんのフォームが「不自然」に見えても致し方のないところだ。
 しかし、世界が変わればそれは、この上なく自然で理想的な姿と理解されるようになる。幸いにして日本テレマン協会はそういう世界だった。そういう世界を50年掛かって作り上げたのが延原武春さんだ。といっても延原さんが「独裁体制」を敷いて思いのままに「王国」を作ったわけではない。共演したたくさんの音楽家たちと延原さんとの相互作用によって、テレマン協会の流儀はでき上がった。
 そんな延原さんに今、もっとも刺激を与えている音楽家のひとりが浅井さんだ。延原さんの考えがすぐに血肉になっていく。その上、音楽が延原さんの目指すところのさらに先を行く。新しい時代の幕開けが来た、とスタッフ一同が思ったのも無理はない。
 さて、このCDにも収められている《ムガール大帝》は、テレマン協会ではお蔵入りの1曲だったという。ずっと以前、演奏会で「空中分解」したことがあったらしい。ところが、延原さんが何も言わずに浅井さんに譜面を渡したところ、すうっと弾いてしまう。これは行けるということで舞台に掛けた。東京でその演奏を聴いたのだが、拍手より先に客席からため息が漏れるコンサートを体験したのは、後にも先にもこのときだけだ。
 《ムガール大帝》の鬼気迫る様子や《四季》の繊細な自然描写は、このCDをお聴きになれば明らかだ。しかし、それが「弾いていないように見える」フォームから繰り出された音楽だとすれば、その驚きはより大きくなるに違いない。驚きが大きければ、ため息もまた深くなることだろう。ときには感嘆のため息をつくのも悪くないものである。

初出:CD「ヴィヴァルディ《ムガール大帝》」ライナーノーツ