大井浩明「ピアノで弾くバッハ」第1回・第2回



【第1回】
 鍵盤楽器奏者の大井浩明は近年、18世紀以前の楽曲では古典鍵盤楽器を用いることを旨としてきた。このたびはそこから一歩踏み出し、ピアノでバッハに取り組む。この日は《平均律クラヴィーア曲集第1巻》。そこで展開されるのは19世紀的なバッハ演奏のおさらいではなく、18世紀音楽にとっては足枷である現代楽器でいかにバッハの「芯」に迫るか、という試みだ。
 大井にかかるとそれは単なる抽象論ではなく、徹頭徹尾、具体的な演奏法として現れてくる。たとえば、同じ音型の繰り返しに句読点をきちんと付けていく。19世紀的な演奏ならそんな場面を一息で歌いきってしまおうとするだろう。句読点1つで大井は、18世紀と19世紀との間に横たわる「時間の分節感覚」の違いを表現した。
 この日は室温や調律に思わぬトラブルも発生したようだが、今後の演奏会では楽器や環境も最適化されることだろう。このシリーズへの期待が否応なく高まる。(4月21日タカギクラヴィア松濤サロン)

初出:音楽現代 2012年7月号


【第2回】
 鍵盤楽器奏者・大井浩明のバッハ「平均律クラヴィーア曲集」と言えば、クラヴィコードでの演奏が良く知られている。このたびは、その対極とも言えるモダンピアノでバッハに取り組む。この日は第2巻の全曲演奏。4月の第1巻に続き、大井が「異形の詰め物」と呼ぶスタインウェイのグランドピアノで、18世紀音楽に迫る。
 その成功を確かなものにしたのは第9番「ホ長調」から第12番「へ短調」へと続く4曲だ。ここでは、調和を重んじる16世紀のルネサンス様式から、感情の素直な発露を目指す18世紀の多感様式までが顔を出す。それらを彩るのはクラヴィコード、オルガン、チェンバロフォルテピアノの各楽器を思わせる多彩な書法だ。こうしたスタイルの歴史性、楽器の音色の多様性が演奏として花開いたのも、大井浩明とモダンピアノという取り合わせがあってこそ。作曲家・楽器・演奏者のもっとも現代的で価値ある出会いが実現した。(7月28日 タカギクラヴィア松濤サロン)

初出:モーストリー・クラシック 2012年10月号