ボヘミアをめぐる普墺戦争 ー アルミンク&新日本フィル



2012年4月14日(土)
新日本フィルハーモニー交響楽団第492回定期演奏会
クリスティアン・アルミンク(指揮)
マティアス・ヴォロング(ヴァイオリン)
スーク《組曲「おとぎ話」》作品16
ドヴォルジャーク《ヴァイオリン協奏曲 イ短調》作品53
ヤナーチェク組曲「イェヌーファ」》ブライナー編


 東欧と聞いて我々は、域内の国名程度は言えても、細かい地域差をイメージするのは難しい。たとえばチェコは「ボヘミア地方」を意味する言葉で、それが国名になっているけれど、国内には他に「モラヴィア地方」と「シレジア地方」とがある。この日のアルミンクは、我々日本人には馴染みの薄いそんな微妙な地域差を、音楽で描き分けようと試みたが、上首尾とはいかなかった。
 実のところ、このテーマを扱うのにアルミンクは最適の人物だ。というのも、彼はヴィーンの生まれだから。ヴィーンと言えばオーストリア帝国の古都。各民族の自決を認めることで反乱を押さえ、結果として広大な版図を治める。これがハプスブルク家の帝国支配の要諦だった。日本人ならば「チェコ」とひとくくりにしてしまいがちなこの地域だが、ヴィーン人にとってはその内部の地方差こそ重大な関心事なのだ。だからこの日のプログラムは、旧宗主国出身のアルミンクが、東欧の事情を弁えぬ日本人にチェコの地域色の豊かさを教える、という何とも興味深いものだった。
 ところがこれが上手く行かない。不首尾はドヴォルジャークの《ヴァイオリン協奏曲 》に最もはっきりと現われた。この曲でソリストを務めたヴォロングは、「美しい音」と「たしかな技術」が身上のヴァイオリニスト。裏を返せばそれだけの音楽家だ。均質な「美しい音」にベッタリと塗り込められた演奏は、和声の緊張と緩和をほとんど無視して進んで行く。地方色豊かな舞曲のリズムも通り一遍の硬直ぶり。一方でアルミンクとオーケストラは、和声の緊張と緩和をしっかりと描き、舞曲のリズムを活き活きと表現しているのだから、その齟齬は大きい。ヴォロングはこの曲のソロパートをすらすら弾ける、というだけ。音楽もへったくれもない。グァルネリの音なんかに騙されないぞ。
 だが待てよ。この「失敗」は何とも興味深いではないか。だってヴォロングはベルリンの人だ。つまりプロイセンの古都の出だ。プロイセンの他国支配の原則は「力でねじ伏せる」というもの。アルミンクの「ハプスブルク流」とは相容れるはずもない。つまりこの協奏曲の演奏は、ドヴォルジャークの故郷ボヘミアを舞台に、地方色を精緻に描き出そうとしたアルミンクの「ハプスブルク流」と、均一の流れで曲をねじ伏せようとしたヴォロングの「プロイセン流」とが覇権を争った「普墺戦争」だったのだ!
 結果は本歌の普墺戦争の通り、プロイセンの勝ち。ただし音楽的には何の成果ももたらさない勝利だ。悪貨は良貨を駆逐する。こうして、旧宗主国の矜持を打ち砕かれたアルミンク。企画もよかったし、オーケストラの演奏もすてきだった。しかし、そんな繊細さは「プロイセン」の前にはもはやなんの力も持たないのか。頑張れヴィーン、頑張れアルミンク!