「五度圏は永久に不滅です」ダウスゴー&新日本フィル


新日本フィルハーモニー交響楽団 第491回定期演奏会 2012年3月15日 サントリーホール

 トーマス・ダウスゴー。デンマークの指揮者。優秀。どう優秀?まず1曲目。なぜチャイコフスキーの幻想序曲《ロメオとジュリエット》なのでしょうか。続くシベリウス《第七交響曲》で疑問は氷解しました。両者に共通する上行音階の主題で演奏会前半をひとまとめにする趣向です。それが分かれば後半の選曲意図も容易に理解できます。
 ニールセンの《第四交響曲「不滅」》は、第1ティンパニの減五度(変ホ↓イ)で始まった曲を、第2ティンパニの完全四度(ホ↓ロ)で締めます。その間の手練手管はすべて、変ホ音をホ音に、イ音をロ音に上げるための(作曲者なりの)手続きというわけです。終盤に現われる両ティンパニの派手な競い合いはその典型。そこにいたるまでにも減五度と完全四度との争いは、二度音程の「軋み」として各所に現われてきます。そのあたりを彫り深く現実化して行くダウスゴーの手際の良さは、曲の見通しを確かに持っているからこそ。つまり、何のための不協和音/協和音かが分かっているというわけ。
 ところで前半とニールセンとの関係は?減五度は音階を作らないけれど完全四度は音階を作りだすのです。つまり西洋音楽の音階は、完全五度(その裏としての完全四度)を積み重ねてはオクターブ移高することで得られます(C-G-D-A…)。減五度を積み重ねても堂々巡りするだけ(C-Ges-C…)。《第四交響曲》は西洋の音階を生み出す「五度圏」の「源泉性」をタネとして「不滅」を表現しようとしていたわけです。音階主題による統一性を前半で、その源泉としての五度圏を後半で提示。ほれぼれするプログラムです。
 何も生み出さない「減五度」から、音階の源泉「完全四度」へ。「不滅」の意はそこに。…そんなことを1度の演奏で理解させてくれたダウスゴー&新日本フィル、立派。こういう演奏会こそ批評の当番に当たりたいものなんですけどね。残念。他の批評家の方がどう書くか、お手並み拝見。