エンリコ・オノフリ リサイタル 2011



 バロック・ヴァイオリンのエンリコ・オノフリが、チパンゴ・コンソートの面々とともにリサイタルを行いました。プログラムは、バロック期のイタリア人音楽家の作品を中心に、そこに同地で修行をしたヘンデルの曲をアクセントとして取り入れたものです。
 彼らのアンサンブルの妙味を味わうのに、演奏会の終わりに置かれたヴィヴァルディの《ラ・フォリア》は格好の題材でした。オノフリの身体の使い方は歌い手のそれに似ています。《ラ・フォリア》冒頭の力強い一音で彼は臍下丹田に一瞬、力を込めます。そんな演奏は弦楽器の「息の長さ」とは異なる間合い、つまり歌の間合いを実現するのです。弦楽器よりもずっと短い歌のフレージングは、一見息の長いように思われる旋律に鋏を入れ、急いた楽想を生み出していきます。こうしてオノフリは、《ラ・フォリア》の本来の意味「狂気」を会場に響かせるのに成功しました(「乱舞」の相手役だった第2ヴァイオリンの杉田にも拍手を!)。
 しかし、この卓越した演奏が当夜の主役というわけではありません。この日の白眉は、コレッリの《ソナタ ヘ長調》作品5-10とヘンデルの《ソナタ ニ長調》作品1-13を並べた前半のプログラムです。オノフリは、コレッリでは通奏低音をチェロ1台に、ヘンデルではチェンバロ1台に担当させました。少なくとも、チェロ1台に通奏低音を担当させるのはそうとうイレギュラーなことですが、彼がそこまでして表現したかったのは、作曲家の発想法の違いです。すなわち、コレッリが弦楽器的発想で曲を書いているのに対し、ヘンデル鍵盤楽器的発想で曲を書いているということ。
 コレッリソナタの演奏は、彼のコンチェルト・グロッソを思わせる、豊かな弦楽器の響きに満たされました。鍵盤楽器による和音がなくても、充分に和声進行の「緊張と緩和」を感じさせます。それは、通奏低音を担当したチェロの懸田が、ひとつひとつの終止に着実に、またときには刺激的に落とし前を付けて行くからに他なりません。その上でオノフリが多声的な旋律をひとり二役でこなすのですから、その響きがグロッソ並みに豊かになるのは当然です。
 一方、ヘンデルソナタでは、チェンバロの渡邊がオノフリに先行して積極的に右手の即興を仕掛けます。それにオノフリの即興が呼応します。そうなるとオノフリの即興も、鍵盤楽器的発想に一部、寄ったものとなります。こうしてコレッリとは異なるヘンデルの発想法が前面に押し出されていくのです。
 こうした発想法の違いを、ヴァイオリン1本で表現するオノフリの手腕は高く評価されるべきです。しかしそれを支えるのは、超が付くほど優秀な日本人通奏低音奏者たち。この類い稀なヴァイオリニストが盛んに日本を訪れ演奏を披露するのは、彼ら日本人奏者の、主役を喰いかねない活躍に寄るところが大きいでしょう。オノフリの来日がこの先も長く続くことはまず、間違いありません。


2011年10月28日(金) ハクジュホール
エンリコ・オノフリ バロック・ヴァイオリン・リサイタル
《悪魔のトリル〜幻のヴァイオリニスト。》
エンリコ・オノフリ(バロック・ヴァイオリン), 杉田せつ子(バロック・ヴァイオリン), 懸田貴嗣(バロック・チェロ), 渡邊孝(オルガン, チェンバロ


ヴィヴァルディ《トリオソナタ ニ短調》作品1-8, RV64
コレッリソナタ ヘ長調》作品5-10
ヘンデルソナタ ニ長調》作品1-13, HWV371
………
ヴェラチーニ《ソナタ ホ短調》作品2-8
タルティーニ《ソナタ ト短調「悪魔のトリル」》B.g5
ヴィヴァルディ《トリオソナタ ニ短調「ラ・フォリア」》作品1-12, RV63