カントゥス・ケルンの《ミサ曲ロ短調》



 バッハがオルガニストの職を初めて手にした街・アルンシュタット(写真・アルンシュタットのバッハ像)。18歳の若きバッハが意欲に燃え、ときには勇み足で周囲と喧嘩しつつ縦横無尽に活躍しました。かつて彼が奉職した教会は「バッハ教会」と名前を変え、300年前と同じ場所に建っています。

 5月7日、このバッハ教会を舞台に《ミサ曲ロ短調》の演奏会が催されました。テューリンゲン・バッハ週間の目玉コンサートのひとつで、演奏はユンクヘーネル(写真)と彼の手兵カントゥス・ケルンが担当。

 カントゥス・ケルンと言えば、達者なオーケストラ(とりわけ管楽器)にのせて関西人的ノリの歌い手たちがのびのびと遊ぶ愉快な集団。当方、彼らの「大人げなさ」を全面的に支持しています。しかし、当夜のプログラムは《ミサ曲ロ短調》。「大人げない」演奏で本当に成果がでるのでしょうか?幸いにしてそれは取り越し苦労でした。素晴らしい演奏。「大人げないロ短調」、大歓迎です。


 当夜の合唱は、ソプラノ(I)2名、ソプラノ(II)2名、アルト2名、テノール2名、バス2名の最小編成。これを二手に分け、二重合唱の陣形に配置しました。オーケストラも相応に、管楽器を含め20名ほどの小編成です。

 第1に指摘したい美点は、輪郭くっきりの旋律線。《ロ短調》のスコアでバッハは、アーティキュレーション(旋律の分節)を細かく指示していますが、ユンクヘーネルはそれを非常にくっきりと、ときには少し大げさなくらいに再現します。スタッカートはできる限りスタッカートに、レガートはできる限りレガートに。そうして浮かび上がってくるのは、バッハの音楽の「健康美」。面接で自己紹介するとき、一本調子で話すより、ハキハキとメリハリを付けて話した方が相手に伝わりやすいですよね。バロック期の音楽も同様で、歯切れの良い旋律線はミサ通常文をしっかりと我々の耳に届けてくれます。また、集団でぼそぼそ話しているとそれぞれが何を言っているか分かりませんが、各人がハキハキ話せば、同時に声をあげていても、それぞれが何を言っているか聴き取ることができます。ポリフォニー音楽も同様で、はっきりとしたアーティキュレーションは対位法の交通整理に大いに役立つのです。活気ある旋律線はヘミオラもびしっと決めてくれます。ヘミオラとは、3拍子系の楽句の終止部に現れる変拍子。| 123 | 123 | 1… を | 12 | 31 | 23 | 1… と処理します。活気あるヘミオラでは、歌舞伎の見栄が決まったときのような爽快感が感じられます。

 第2は、アラ・ブレーヴェ楽章がたいそう速いこと。アラ・ブレーヴェ楽章とは、少なくとも《ロ短調》では、2分の4拍子(2分の2拍子2つ)をとるルネサンス様式の対位法楽章を指します。これが、二分音符=108回毎分ほどの超高速で進むのです。だからといって、合唱が団子になって進むのではなく、各声部はしっかりと分離し、見通しの良いポリフォニーに仕上がっています。これは、合唱が最小人員であることも原因のひとつですが、第1にあげた特徴、くっきりとしたアーティキュレーションが功を奏しているとも言えます。この高速古様式のおかげで「キリエ」の3つの楽章が、見事に「序破急」を為していたことを特筆しておきます。


 ただし、これらの望ましい対位法を実現するには合唱のバランスが重要。そのあたり、カントゥス・ケルンに抜かりはありません。アルトとテノールに強力な歌い手を配置して、埋没しがちな内声をしっかりと響かせます。そうして実現したのは、合唱の立体感がこれほどとは、と腰を抜かすほどのサウンド。音楽は建築に喩えられることがありますが、そんな喩えが実感として迫るすばらしい合唱です。これが第3の美点です。

 そんな合唱の真骨頂が発揮されたのが「聖霊とともに Cum Sancto Spiritu」。「グロリア Gloria」の最後を飾るこの楽章は、コンチェルタート様式で書かれています。コンチェルタート様式とは、要素の対比を表現の主軸に据えたスタイルのこと。声楽と器楽、ポリフォニーとホモフォニー、強音と弱音、鋭さと丸みといった対立項を1曲に統合する様式です。 
 そんな「聖霊とともに」の肝は、第68小節と第72小節に現れる「アーメン(然り、そうなるように)」。この2度の力強い「肯定の言葉」を生かすも殺すも、第37小節に始まるフーガ次第です。 27小節に渡って大きなうねりを作るこのフーガは極めて高度な対位法で、先にあげた3つの美点を備えた音楽集団でなければ実現できません。フーガを受けて、長短短の付点リズムの上声部とオクターブを交互に打つ太鼓バスとが推進力を増幅させつつ、第68小節の 「アーメン」になだれ込む。そんな大きな流れが、強烈なカタルシス効果を生みます。カントゥス・ケルンは当夜、このカタルシス効果を充分に表現しました。脱帽です。
 次回、そんなカントゥス・ケルンの演奏が「《ロ短調》ランキング」の何位に入ったか、発表です。