「食卓の音楽」は音楽の傍流か?


 心地よい音楽が演奏される中、身なりの整った紳士淑女が美禄佳肴に舌鼓を打つ。現代日本では想像しにくい場面ながら、この「心地よい音楽」がいわゆるBGMであることは容易に察しがつきます。酒、食事、会話を存分に楽しむための気の利いたスパイス、それが「食卓の音楽」です。
 17世紀、ドイツ東部ザクセン選帝侯国の首都・ドレスデン宮廷のお話。宮殿の食堂の様子が書き残されています。
 「(ホールの)各絵画のうしろには空間があり、そこで音楽を演奏することができる。このホールで食事をする場合、音楽家は階下の部屋に控えることもできる。扉は閉じられ、響きは通風孔を通って楽しげに上ってくる。さらには天井の下に隠れて演奏する場所もあり、まさに32の異なるところから音楽が鳴り響く。」
 BGMひとつに隠し部屋まで設えるとは大層な凝りようだ、と私たちは考えがちですが、この「BGMひとつに」というところに現代人の誤解があります。交響曲を聴くためにコンサートホールへと足を運ぶことに慣れた現代人にとって、食事のBGMとは取るに足らない音楽のように思えます。しかし、バロック期のヨーロッパにおいて「食卓の音楽」は音楽のメインストリームのひとつでした。
 「教会用、食卓用、劇場用作品のいずれも、命じられるままに勤勉に、自作あるいは他人の作品をもって仕えるべきである。」
 楽長としてドレスデン宮廷に雇われたアルブリーチが、就任に際して署名した契約書(1656年)の一節には、音楽の3つの用途がはっきりと記されています。あらゆる音楽が、大小さまざまなイヴェントに奉仕する「機会音楽」だった当時、「食卓の音楽」= BGM は私たちが考えるよりもずっと重要な位置を占めていたのです。だからその器である食堂に、凝った「音響装置」を設置するのは当然で、音楽家は「食卓の音楽」 に本気で取り組むことが求められました。
 18世紀に入ると徐々に公開演奏会が現れ始め「音楽のための音楽」が広まっていきます。19世紀に入ると、BGMといった音楽のあり方=機会音楽そのものが非難の対象になります。だから、ゲオルク・フィリップ・テレマンの<食卓の音楽>全3巻(1733年)は、「食卓の音楽」の伝統が放つ最後の輝きと言ってよいかもしれません。


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写真:ライプツィヒのシュパーゲル(白アスパラ)売り