「復活の喜び、救いの感謝」ブリュッヘンの≪ミサ曲ロ短調≫


 新日本フィルとの共演のため、日本に滞在中のフランス・ブリュッヘン。2月26・27日はその総決算、バッハ≪ミサ曲ロ短調≫BWV232の公演です。
 ≪ロ短調≫の成立過程には謎が多く、なぜこのミサ曲が作曲されたのか、バッハ学者の間でも論争になっています。宗教的発心、とりわけエキュメニカル(教会一致的)な思いに駆られて作曲したのか、はたまたドレスデン宮廷への猟官運動だったのか。そのままでは、カトリックの礼拝にもルーテル派の礼拝にも用いることが困難なこのミサ曲。いったい何のために…。いずれにしても、失明直前まで作曲が続けられたこの楽曲に「特別」な意義があったことは確かです。
 そんな特別な1曲を千穐楽に据えた今回のブリュッヘン来日公演。新日本フィルと蒔いた「18世紀音楽のたね」が、すみだトリフォニーホールで芽を出し蕾を付け、2月26日、ついに花開きました。合唱の健闘もあり、モダン・オーケストラの演奏としては高水準のバッハ。なにより≪ロ短調≫に対するブリュッヘンの考え方が光る好演となりました。


合唱の活躍

 ≪ロ短調≫の演奏上の主役は合唱。総勢100人ほどの合唱団はこのミサ曲を歌うには多すぎるきらいもありますが、ひとりひとりの声量を勘案すれば致し方の無いこと。問題は「100人の合唱の迫力と30人の合唱の精度とを両立できるか」ということ。その点でこの日の栗友会合唱団は及第点です。「30人の合唱の精度」とまでは言えないまでも、少なくとも100人で歌っているとは思えない水準のアンサンブル。練習時にはテノール声部の薄さが気になりましたが、本番ではテノールを支えるヴィオラが練習時より厚みを増していたので、最低限の立体感は担保されました。そんな合唱と器楽の両輪がかみ合ったのが「聖霊とともに Cum Sancto Spiritu」です。
 「グロリア Gloria」の最後を飾るこの楽章は、コンチェルタート様式(協奏様式)で書かれています。コンチェルタート様式とは、要素の対比を表現の主軸に据えたスタイルのこと。声楽と器楽、ポリフォニーとホモフォニー、強音と弱音、鋭さと丸みといった対立項を1曲に統合する様式です。そんなコンチェルタート楽章である「聖霊とともに」の肝は、第68小節と第72小節に現れる「アーメン(然り、そうなるように)」。この2度の力強い「肯定の言葉」を活かすべく、対比の網をめぐらせる。そこにこの楽章の成否がかかっています。ですから、勢いがそがれないよう相当な速さで突っ走りつつ、高度な対位法を破綻なく実現しなければなりません。
 この日の演奏は、対位法的な部分でもアンサンブルに破綻がなく、各声部が透明度を保ちつつ「アーメン」へ進みます。一方でホモフォニック(和弦的)な部分での迫力も充分。第37小節に始まるフーガが27小節に渡って大きなうねりを作り、それを受けて長短短の付点リズムの上声部と、オクターブを交互に打つ太鼓バスとが推進力を増幅させつつ、第68小節の「アーメン」になだれ込む、という大きな流れが出来ています。「強い肯定」を聴衆に実感させる「アーメン」のカタルシス効果も抜群。大合唱団とモダン・オケで演奏する利点が良く表れたこの楽章を聴き、演奏会後半の「クレド」以降にも期待が高まります。
 

休憩にも工夫を

 欧州で≪ロ短調≫を演奏する場合、休憩はまず入りません。日本国内の演奏会では「グロリア」と「クレド」の間に休憩を入れることが多いようです。これには典礼上の根拠も音楽上の根拠もありません。根拠が無いだけならまだしも「有害」とさえ思います。典礼上、ミサの式次第は2つに大きく分けられます。「ことばの典礼」と「感謝の祭儀」です。ミサ曲の歌詞に当たる5つの通常文で言うと、キリエ・グロリア・クレドが「ことばの典礼」のパートにあたり、サンクトゥス・アニュスデイが「感謝の祭儀」にあたります。ですから、仮に休憩を入れるのなら「クレド」の後、「サンクトゥス」の手前が望ましいはず。「サンクトゥス」では合唱が二重合唱になりますから、このタイミングで休憩を入れれば、合唱の並びを組み替えて二重合唱の陣形にすることが可能。そうすれば、「サンクトゥス」や「オザンナ」での合唱のステレオ効果は抜群だったでしょう。
 また、「グロリア」での合唱団の演奏水準や緊張感を「クレド」でも活かすことを考えるならば、両者の間に休憩を入れるのは問題。実際この日も、休憩後の「クレド」で合唱団の水準、とりわけ対位法楽章での透明度が著しく低下しました。疲れの回復の効果よりも、緊張感の途切れの悪影響が勝ってしまった形です(それでもなお、立派な合唱だったことは栗友会の名誉ために言っておきます)。こういった問題も「クレド」と「サンクトゥス」の間に休憩を入れれば解決すること。日本の楽壇におかれては今後の配慮を願います。


復活の喜び、救いの感謝

 さて「クレド Credo」です。バッハは「クレド」の9つの楽章をシンメトリカルに配置。つまり9つを「2-1-3-1-2」とまとめ、中心の3つの楽章に聴衆の意識が向かうように工夫しました。この3つの楽章は「聖霊によりて宿り/十字架につけられ/三日目に甦り」で、イエスの生涯にあたる部分です。中心3楽章のさらに中心が「十字架につけられ」であることには、キリストの受難を重視するルター派教会の考え方が色濃く滲んでいます。このシンメトリー構造、もっと言えば中心3楽章の重要性をどう表現するかに、指揮者の考え方が強く表れると言っても過言ではありません。
 昨年来日したアーノンクールは、「聖霊によりて宿り」の神秘、「十字架につけられ」の苦悶を強調する音楽づくり。深く沈潜する表現に心を動かされた向きも多かったことでしょう(アーノンクールの≪ロ短調≫の様子はこちら)。一方、当夜のブリュッヘンは「三日目に甦り」の喜びを前面に出す解釈。この楽章も「聖霊とともに Cum Sancto Spiritu」同様、コンチェルタート様式で、長大な対位法部分とホモフォニックな部分との対比も鮮やか。低声部から湧き上がる合唱が、復活し地面から起き上がるキリストの身体を表すなど、興味が尽きない音楽です。ここでも合唱とオーケストラの両輪がかみ合い、復活の喜びを高らかに歌い上げました。
 「クレド」で「復活の喜び」を高らかに歌うことはとても重要です。というのも、「サンクトゥス」以降の「救いの感謝」が空虚にならないためには、十字架上の死だけでは足りず、キリストの復活を強調する必要があるからです。その点、ブリュッヘンの解釈はまことに妥当。「サンクトゥス」以降の「感謝の祭儀」が力を失わずに済みました。
 つまりブリュッヘンは、ピリオド・アプローチの大枠は維持しつつも、モダン・オーケストラと大合唱団をその枠に嵌めこむのではなく、両者の強みを活かした音楽づくりに取り組んだということです。モダンの楽団/合唱/会場で出来る事のうち、最上を目指す。至極まっとうに感じるそんな音楽づくりも、するとなればなかなか大変。うまく行った例はそんなに多くありません。その意味で今回のブリュッヘン新日本フィルの一連の公演は、成功裡に終わったと言ってまちがいありません。次なるプロジェクトにも期待。ブリュッヘンの再来日を待ちましょう!


追記(1):この日のオルガンは無視できないほどにひどかった。バロック音楽の要は通奏低音。その中心にして第二の指揮者でもあるオルガンが、通奏低音をまとめていないばかりか、当のブリュッヘンをまるで見ていない。通奏低音に由来するアンサンブルの乱れが少なからずあったが、ピリオド演奏的観点からすると、その最大の原因はあのひどいオルガン。サンサーンスの≪第3交響曲≫の演奏のためにいるようなオルガニストを、バッハ最大の傑作のひとつ≪ミサ曲ロ短調≫で使ってもいいことはひとつもなし。通奏低音が出来ないのだから。日本には古典鍵盤楽器の音楽家もたくさんいる。なぜ、そういう人材を生かそうとしないのか。モダン・オーケストラの硬直した客演人事には首をひねらざるをえない。ちなみに、練習でもブリュッヘンに相当ダメ出しをされていたオルガニスト。いやな予感はしていたのだが…。

追記(2):いちおうバッハをテーマに学位論文を書いたので、バッハの楽曲の演奏会に供されるプログラムノートには強い関心を持って目を通している。まあ、大概の場合、内容が多少希薄でも放置するが、今回のプログラムノートはオルガン同様、無視できないほどに低水準なので呆れてしまった。音楽用語の誤用だとか、独りよがりの修辞だとか、飛躍した論の運びだとか、もう目も当てられない。同業者の批判ってまあ、みな控えるものだが、これを書いたライターと同業者だとは思われたくない(と憤慨する程度にはしっかりと仕事をしているつもり)。


写真:フランス・ブリュッヘン(1月28日 すみだトリフォニーホール