ブリュッヘン&新日本フィル 「メタメタ《第8》」「メタ《第9》」(2)


承前(《第8》の様子はこちら

 ブリュッヘン指揮、新日本フィルの「ベートーヴェン・プロジェクト」最終回、2月19日、すみだトリフォニーホールでの《第8番》《第9番》を、2回に分けてお伝えするシリーズの第2回。練習の様子、《第9》の位置づけ、当夜の演奏と話を進めます。


事件はひな壇で起こった

 2月17日木曜日、午後4時半に始まった練習は、《第8》に目鼻をつけたところで休憩に。再開は午後7時。6時半過ぎには栗友会の合唱団員が集まりだし、ステージ後方のひな壇に陣取ります。定刻の3分前には舞台上に演奏者のほぼ全員が顔を揃えました。あとはステージ前方にセットされた指揮台と、その横に並ぶ独唱者席の主を待つだけです。
 午後7時ちょうど、舞台下手に現れたブリュッヘンは、バリトンのウィルソン=ジョンソンと何やらひそひそ話。やおらマネージャーを呼び出し、「独唱者席は合唱団の最前列」と指示しました。事前の打ち合わせとは異なる指示に担当者は大慌てしたようですが、さすがは舞台のプロ、10分でステージ替えを済ませました。
 第4楽章の冒頭から練習はスタート。第3楽章までの各楽章の断片が現れては、低弦のレチタティーヴォに次々と打ち消されていく部分では、断片とレチとの間合いを注意深く調整。「ミーファソ,ソファミレ」(移動ド) で始まるアレグロ・アッサイを経て、第208小節のプレストに入っても、独唱者席には誰もいません。第215小節、アッコンパニャート(レチの器楽伴奏)の結句が「ジャンジャン」と鳴り響いたとき、くだんのバリトンが合唱隊席の上手に現れました。そのまま「友よ、そんな調べでなく」と朗唱しつつ、合唱隊席最前列中央に進みます。バリトンと合唱が「友よ」と呼応する箇所でも、ウィルソン=ジョンソンが隣り合う合唱団員の肩に手をやりつつ声を上げています。シラーの詩に「振り」をつけて、オペラ風の演技をしているわけです。
 このことは、当方にとって大きな事件でした。これまで、CDのライナーノーツや演奏会の楽曲解説などで《第9》のあるべき姿を主張して来ました。その内容をブリュッヘンが、たったひとつのアイデアで表現してしまったからです。


《第9》は交響曲
 ベートーヴェンの《第9》は交響曲ではない、と言ったらどれほどの反論が出るでしょうか。たしかに声楽が入っている点で型破りだが、本人が交響曲と言っているのだから交響曲だろう、という声も聞こえます。名は体を表す。だが実のところ、《第9》が交響曲でなくてはならない理由はありません。ベートーヴェンが「作曲家としての成功」をかけて世に問うた作品《第9》は、そもそも交響曲であってはならないのです。


作曲家としての成功

 18世紀に前半生を生き、19世紀に主に活躍したベートーヴェンにとって「作曲家としての成功」とは一にも二にも声楽曲で成功することでした。そのことを端的に証言しているのが、同じ時代を生きた文学者 E・T・A ホフマンです。曰く「交響曲ハイドンモーツァルトのおかげで器楽最高のジャンルとなった。 いわば楽器による『オペラ』となったのだ」(1809年)。この言葉からわかるのは声楽の優位性。 ホフマンは、器楽が以前より高い地位を得つつあること、その最高のものは交響曲であることを強調していますが、そのために引き合いに出しているのがオペラです。「太陽のように明るい電球」と「太陽」のどちらが優位かは、もはや検討する余地がありません。「オペラのようにすばらしい交響曲」と「オペラ」の関係とて同じです。彼らと時代をともにしたヴィーンの人々は、程度の差こそあれ声楽の優位性を疑っていませんでした。
 ベートーヴェンの行動様式からもその事が分かります。交響曲の大家としては地歩を固める一方、オラトリオ《オリーブ山のキリスト》は鳴かず飛ばず、オペラ《レオノーレ》は大失敗、《ミサ曲ハ長調》にいたっては注文主に酷評される始末。ベートーヴェンは声楽曲が苦手なのです。それにもかかわらず、生涯を通じて声楽曲の作曲をあきらめることのなかったベートーヴェン。彼にとっての自己実現とは、声楽作曲家としての大成でした。


声楽優位のプログラム

 声楽優位の時代精神は《合唱幻想曲》の初演の様子にも現れています。《フォルテピアノ、 合唱と管弦楽のための幻想曲ハ短調》作品80はある公開演奏会のために作曲されました。 その演奏会は《交響曲第 5・6 番》が初演された大規模な公演(1808年)で、その 掉尾を飾ったのがこの《合唱幻想曲》です。2曲の交響曲にくらべ出来が芳しいとは言えない《合唱幻想曲》がメインディッシュの座を射止めたのもひとえに、それが声楽曲だったから。そして同時に、作曲家自身が演奏を披露する自作自演曲だったから(演奏会前半の最後も自作自演の《クラヴィーア協奏曲第4番》)。この演奏会のプログラムからは、大規模な声楽曲を頂点に、自作自演曲、交響曲と続く「ジャンルのヒエラルキー」が透けて見えます。交響曲の大作2曲を下位のものとする一方、声楽曲を最上のものとして演奏会の終わりに位置づける。この日のプログラムの組み立てはそのまま《第9》の楽曲構造へとつながっていきます。


交響曲を内包する声楽曲

交響曲第9番ニ短調》作品125の初演は1824年。このときほとんど聴力を失っていたベートーヴェンが舞台に上がり、実質的にはそこにいるだけのお飾りに過ぎないにもかかわらず、あえて「指揮」をしたのはなぜか。声楽曲を作曲者自らが指揮=演奏するという、当時の「ジャンルのヒエラルキー」の中でも最上のイヴェントを実現するためです。《第9》は、第1〜3の器楽楽章を第4楽章でことごとく否定し、 それに代わる最高位のものとして声楽が立ち現れてくるという構造をとります。この視点から純器楽(交響曲)の部分を眺めれば、それは「劇中劇」の一種であることがわかります。 シェイクスピア劇が始まったと思いきや、やがてそれは否定され、新たな演劇の理想が語られる現代劇へとなだれ込む。《第9》はそんな芝居と同様、メタ(自己言及)的な構造を持っています。このような芝居をシェイクスピア劇と言うのが不適当であるように、《第9》を交響曲というのも不適当です。《第9》は「声楽を内包する交響曲」なのではなく「交響曲を曲中曲として内包する声楽曲」というわけです。


蜂のひと刺し

 このように、長々と説明をしなければならないような事柄を、ブリュッヘンは「振り付きレチタティーヴォ」のアイデアひとつで見事に語りきってしまいました。バリトンが客席と合唱団に向けて「友よ、そんな調べではなく」と大仰な身振りで声を上げたとき、《第9》は声楽曲として確固たる位置づけを得たのです。そして、バリトンが歌う通り、「そんな調べ=第1〜3楽章」はもはや、消え去ってしまいました。
 こんな「蜂のひと刺し」を喰らっては、もう、評論家稼業の立つ瀬がありません。つまるところブリュッヘンの頭の中は、そうとうコンセプチュアルに出来ているということなのでしょう。拍手を遮っての《第3》の冒頭にも、そんな姿勢がよく現れています。ベートーヴェンの音楽のコンセプトを伝えるためだったら、音楽そのものが多少損なわれても構わない、という驚くべき逆説!
 これまで《ロ短調ミサ曲》の「三日目に甦り」や、《メサイア》の「ハレルヤ」といった合唱に感動しても、《第9》の「歓喜に寄す」に心動かされることはありませんでした。声楽曲《歓喜に寄す》(別名《第9交響曲》)の魅力に気づかされたのは、ブリュッヘンの「蜂のひと刺し」のおかげ。「ベートーヴェン・プロジェクト」は終わりましたが、まだバッハの《ミサ曲ロ短調》が残っています。ひと刺しと言わず、二刺し三刺しの衝撃を《ロ短調》にも期待しましょう。

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バッハ《ミサ曲ロ短調》BWV232
2月26日(土) 19:15 開演/2月27日(日) 14:00 開演
すみだトリフォニーホール
指揮:フランス・ブリュッヘン
合唱:栗友会合唱団/管弦楽新日本フィルハーモニー交響楽団
ソプラノ:リーサ・ラーション/ソプラノ:ヨハネッテ・ゾーマ
アルト:パトリック・ヴァン・グーテム/テノール:ヤン・コボウ
バス:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
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写真:フランス・ブリュッヘン (1月28日, すみだトリフォニーホール