「似てない双子」の番舞(つがいまい) ブリュッヘン&新日本フィル


 世の中には「似てない双子」というのがいまして、非常に興味深い観察対象です。というのも、「似てない双子」には注目すべき点が2つあり、それらが互いに背反する事柄だから。1つは「似てない双子」の「似てなさ」。もう1つは「似てない双子」の「双子ぶり」。ベートーヴェンの9つの交響曲で言えば《第4番》と《第5番「運命」》のコンビに、この「似てない双子」性が色濃く滲み出ています。
 ノッテボームが明らかにしたところによるとベートーヴェンは、《第3番》完成後すぐの1804年に《第5》の制作に着手。並行して《第4》《クラヴィーア協奏曲第4番》などの作曲も進めたため《第5》の制作を一時中断、1806年までに《第4》などの作曲を終えた後、1807年に《第5》の作曲を再開、1808年の初頭にはこの交響曲を完成させました。
 つまり《第4番》と《第5番》とは、創作時期がほとんど重なる「双子の交響曲」というわけです。しかし、その姿はそうとう異なって見えます。楽曲のスタイルも編成も初演の状況も、何から何まで違っているのです。だからこの2つは「似てない双子」と言えましょう。
 ブリュッヘンは、奇数番で大きく前進し、偶数番では小さく後退しつつも、全体としては右肩上がりに発展する「ベートーヴェン交響曲進歩史観」を提唱しています(何となく本気でない気もするのですが… 註1)。その視点からすると、《第4》と《第5》を組み合わせた2月11日の演奏会(すみだトリフォニーホール)は、《第4》から《第5》への飛躍--「似てない双子」の「似てなさ」を強調したものと言えます。ところが、この日明らかになったのは《第4》と《第5》とに同じように流れる水脈--「似てない双子」の「双子ぶり」でした。そして、この「双子ぶり」を白日の下にさらす役割を負ったのが、近藤高顯さんの演奏するティンパニです。
 新日本フィルの「ベートーヴェン・プロジェクト」では、18世紀様式のティンパニが使われています。モダン・ティンパニに比べ輪郭のはっきりとした音が特徴で、このプロジェクトでもその効果が期待されています。堅く締った打撃音が楽曲をしっかりと縁取っていくのです。
 《第4》と《第5》は、このティンパニの「縁取り効果」を最大限に利用。このあたりに両者の「双子ぶり」がよく現れています。ティンパニは15世紀来、トランペットの低声部として扱われていて、あのけばけばしい《第3》でさえその伝統から逸脱していません(註2)。ところが《第4》と《第5》でティンパニは、単独の楽器としての位置づけを得ることになります。各所に頻繁に現れるので実例に事欠きませんが、とりわけ重要なのは《第4》の第1楽章311小節目からの22小節と、《第5》の第3楽章324小節目からの50小節。どちらも、ティンパニが単独で主音を打ち鳴らし続ける場面です。とくに後者は、ハ短調からハ長調への鮮やかな転換を担うとても重要な部分。このティンパニによる主音保続がなければ、《第5》は凡庸な交響曲に終わっていたかもしれません。
 様式史やスコアからわかるティンパニのこうした重要性を、耳でしっかりと確認させてくれたのがこの日の演奏。そのことはとりもなおさず《第4》と《第5》の「双子ぶり」を証明していたわけです。
 18世紀ティンパニの演奏効果は絶大。ベートーヴェンの書法、ブリュッヘンの解釈、近藤さんの演奏ががっちりと噛み合って、2つの交響曲をぐぐっと引き締めました。
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 この日、もうひとつ感心したのは管楽器の音響バランス。とりわけすばらしかったのは、《第5》でのトロンボーンの扱いです。19世紀の初め、トロンボーン(サックバット)は教会音楽と一部の劇音楽でしか使われませんでした。それを純器楽の交響曲に導入したのがベートーヴェンです。彼が狙ったのは交響曲に教会音楽の響きを持ち込むこと。交響曲と思って聴いていたら突然、教会で聴いたあの音色が響き渡る。当時の聴衆はそうとう驚いたはずです。ベートーヴェンも、1808年に書いた手紙の中で《第5》を取り上げ、「この交響曲の終楽章にはトロンボーン3本が加わっています」と強調しているほど。
 こういった音楽史の背景に目配りをしないと、《第5》の第4楽章冒頭でトランペットを強調するという根拠のない演奏解釈を平気ですることとなります(ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルなど)。
 その点、ブリュッヘンは抜かりがなく、トロンボーンの響きを厚めに配し、《第5》を教会音楽として提示することに見事に成功していたわけです。《第5》を教会音楽として提示できなければ、ベートーヴェンがこの交響曲に組み込んだプログラムは動作しないも同然。音楽史に鑑み、トロンボーンひとつに楽曲内容との有機的な関連を見つけ、実際の響きでそれを表現する。これこそ古楽の真骨頂です(ちなみにトロンボーンの扱いは《第6》《第9》にも活きてきますから、その点も楽しみ)。
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 ブリュッヘン新日本フィルの「ベートーヴェン・プロジェクト」、次回は《第6番》と《第7番》です。2曲とも一癖も二癖もある交響曲ブリュッヘンの問題提起、それに対する新日本フィルの解答やいかに。2月16日、この日もまた「古楽の神髄」を見せて欲しいと思います。


(註1)ベートーヴェン交響曲を線的に連なった代物と考えるのは無理な相談。そう考えるには9曲それぞれが違いすぎている。結論だけ言うと、異なったジャンル意識によって作られ、たまさかタイトル(交響曲)が同じになった楽曲群、と考えた方が良いのだ。9つの交響曲は、線的に連なっているというより、各々別個の方向を向いた曲が面的に広がっていて、それを「交響曲」という名前でくくった集合体、と考える方が実態に即している。

(註2)ただし、第3楽章423小節目からのコーダにソロ楽節あり。主音と属音の交互打ち。


写真:フランス・ブリュッヘン(2011年1月28日, すみだトリフォニーホール


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ベートーヴェン・プロジェクト(交響曲全曲演奏会)
2011年2月8,11,16,19日
ブリュッヘン指揮, 新日本フィルハーモニー交響楽団 ほか
すみだトリフォニーホール, 特設サイト
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追記:この日、昼間の新日本フィル公演を終えてから赤坂に移動、サントリーホールフェドセーエフ&東フィルの演奏を聴く。真面目で、えらく安定したストラヴィンスキーペトルーシュカ》。待てよ、「安定したストラヴィンスキー」なんて概念矛盾なのでは?