ベートーヴェンを「初演」したブリュッヘン&新日本フィル


 古楽の先頭を走り続ける音楽家フランス・ブリュッヘン。リコーダー、トラヴェルソサワークリーム(リコーダーバンド)、18世紀オーケストラと活躍の場を広げ、モダンの管弦楽団を指揮するところまできました。日本でのパートナーは新日本フィル。このコンビは、2009年のハイドン・プロジェクトで《交響曲第93〜104番(ロンドンセット)》と《天地創造》を披露し、大変話題になりました。今回はその続編ともいうべき「ベートーヴェン・プロジェクト」。4日かけて交響曲全曲の演奏に挑みます。2月8日はその第一夜。《第1番》から《第3番》をすみだトリフォニーホールで聴きました。

 この日、ブリュッヘンがこのプロジェクトで目指していることがはっきりと浮かび上がりました。彼はベートーヴェン交響曲を「初演」しようとしています。「初演の再現」をしようとしている、というよりも「初演」しようとしているのです。もちろん、その方法論として初演時のデータをフル活用していることは明らかです。しかし、そこで浮き彫りにされるのは「初演時のサウンド」というより「初演時の心象風景/事件性」。演奏者が、聴衆が、そして作曲者自身が、初めて音になった交響曲に接して、どう感じたか、どれだけ興奮したか。ブリュッヘンの関心は、その1点に集約されているように思います。

 たとえば《第1番》。この曲の初演は1800年4月2日のヴィーン・ブルク劇場。このときの批評に興味深い記述があります。「管楽器があまりに多く使われていたために、全体が管弦楽というより管楽合奏の印象を与えた」(『一般音楽新聞』1800年10月15日号)。この批評は、管楽器寄りのサウンドを驚きを持って批判的に取り上げています。交響曲の響きの主体は弦楽器、と考えていた当時の聴き手の耳に、この交響曲は新鮮に響いたのです。当時の交響曲の多くが管楽器を軽い「色付けの筆」として扱う中、ベートーヴェンは「輪郭」--たとえば第1楽章の第2主題--を描くのに用いましたから、当時の人々の驚きも当然。この「管楽合奏」風のサウンドこそ、ハイドン交響曲を乗り越えるため、ベートーヴェンがはじめに手にしたツールです。

 そういったことを踏まえ、大胆に管楽器寄りの響きを構築したこの日のブリュッヘン。管楽合奏の風味を随所に利かせ、ハイドンからの飛躍を強調します。方向としては《第2番》も同様(たとえば第1楽章第2主題は《第1番》と同じく管楽器が担当している)。

 モーツァルトハイドンからベートーヴェンの《第1番/第2番》へと続く交響曲の流れ(註1)に、楔を打ち込んだのが《第3番》であることは周知の通り。何度かの非公開演奏を経て《第3番》が公開演奏会のステージに上がったのが1805年。その時の様子を伝える批評はつぎのように曲を評しています。「この作品ではどぎつさや奇抜さが余りにもしばしば見られ、(中略)統一がほとんどまったく失われている」(『一般音楽新聞』1805年2月13日号)。引用部分の前段でも、長い、演奏が難しい、無秩序と散々の書かれようなのですが、逆にこの作品でベートーヴェンが従来の交響曲の概念をひっくり返してしまったことがよくわかります。

 批評家は《第3番》に否定的な見方をしていますが、「大変な喝采を受けた」という記録もあり、耳新しさを喜んだ聴衆もいた模様。葬送行進曲とそのフーガ風の部分(第2楽章)やスケルツォ(第3楽章)はそうとう耳新しかったはずです。また、弟子のリースは「最初のアレグロの展開部で、拍子に逆らった二分音符があまりにも長く続くので、オーケストラ全体が投げ出してしまい、最初からやり直さなければならなくなるということも起こった」(リース『伝記的覚え書き』)と証言しています。延々と続くヘミオラ(3拍子系の曲にみられる変拍子)には演奏者ですら参ったとの報告。いわんや聴衆をや。リースはまた、展開部から再現部へ移行する部分、弦楽に主題が回帰する数小節前でホルンがフライングする場面を、ベートーヴェンの「意地悪」として回想しています。

 そんなエピソードのひとつひとつが、ブリュッヘン新日本フィルの演奏から聴こえてくるのですから、これはもう愉快でなりません。冒頭、拍手も終わらぬうちに腕を振り下ろし、はじめの2つの主和音をブリュッヘンが「かました」のも、当時としては素っ頓狂なこの和音2つの始まり方を強調したかったから。まあ、細部で議論を呼びそうなところがあるにはあります(註2)。しかし、それは「表れ」の問題であって、着眼点はズレていないわけです。そこがすごいところ。並の指揮者は着眼点そのものがズレている上に、その「表れ」もひどかったりしますから。

 いずれにせよ、よい演奏だったと思います。とりわけ、モダンオーケストラでこれを実現したところがすばらしい。2009年9月5日、ゲヴァントハウス管がピノックを迎えてベートーヴェンの《第4交響曲》を演奏しましたが、このときの演奏は「ベートーヴェンの意図」が透けて見える名演でした。一方、当夜の演奏は「ブリュッヘンの意図」が透けて見える快演。ピノックもブリュッヘンも、方法論の点ではそうとう一致した部分があるはずですが、演奏の性質は大きく異なっています。それでも、どちらもすばらしいベートーヴェン演奏に達するのです。しかも、客演したモダン・オーケストラで。古楽を今日の隆盛に導いた音楽家たちの底力には感心しきりです。ブリュッヘンのシリーズはまだまだ続きますから、お時間に余裕のある方はおいでになるのが吉。さあ、ベートーヴェン交響曲の「初演」に立ち合いましょう(註3)。


(註1)モーツァルトハイドンより若いが、18世紀末の交響曲創作においてはハイドンに先行していた。モーツァルトの後期三大交響曲が1788年、ハイドンのロンドンセットが1791〜95年、ベートーヴェンの《第1番/第2番》が1800,1802年の作曲。だから、交響曲の様式の連続性という意味では、モーツァルトハイドンベートーヴェンという順番になる。というわけで、次のプロジェクトは先祖返りして、モーツァルトの《パリ交響曲》以降を数曲と《ハ短調ミサ》でいくのがよいなあ、と夢想している。

(註2)たとえば、第1楽章第123〜131小節、弦楽器が重音でヘミオラに突入するところでブリュッヘンは速度を落とす。ここは等速で突っ走らないとヘミオラの持つギアチェンジ感がでない。

(註3)関西のみなさんは、延原武春さんとテレマン室内オーケストラないし大阪フィルのベートーヴェンに足を運んでいただきたい。ピノックやブリュッヘンと着眼点の多くを共有する延原さん。その「表れ」も大変スタイリッシュで現代的なので、ブリュッヘンより納得できる部分も多い演奏。

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ベートーヴェン・プロジェクト(交響曲全曲演奏会)
2011年2月8,11,16,19日
ブリュッヘン指揮, 新日本フィルハーモニー交響楽団 ほか
すみだトリフォニーホール, 特設サイト
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写真:フランス・ブリュッヘン