速報! シュタイアーの《ゴルトベルク変奏曲》 in 静岡


 2月6日に足を運んだのは静岡音楽館AOIホール。アンドレアス・シュタイアーの日本ツアーのスタート地がここ、静岡なのです。シュタイアーは、ドイツ古楽の屋台骨を支える古典鍵盤楽器奏者。このたびバッハとシューベルトシューマンを引っさげ、日本にやって来ました。ソロ・リサイタルのプログラムはバッハ《ゴルトベルク変奏曲》全曲。2009年にはライプツィヒで同曲を好演、2010年には録音も出し、この大曲の演奏歴を着々と積み重ねています。
 シュタイアーの演奏の特徴は「精確なテンポ感覚」にあります。それが活きるプログラムが《ゴルトベルク変奏曲》です。《ゴルトベルク》は、冒頭のアリアの低音主題を、手を替え品を替え変奏していく曲で、カノンによって区切られた3つずつのユニットを10回繰り返す、など緻密な設計が光ります。そんな《ゴルトベルク》を首尾よく演奏するのに必要なのが「精確なテンポ感覚」なのです。正しくリズムを刻む左手(通奏低音)の上で、右手が自由に伸縮する。そうすると、テンポやリズムが精確なのに、堅苦しくないのびのびとした演奏になります。そんな「精確なテンポ感覚」は、1曲1曲の推進力を活き活きと保つことはもちろん、30の変奏が連なる長大な楽曲の秩序だった構造を透明化させるのにも役立ちます。シュタイアーはそういった演奏ができる希有な奏者のひとり。期待が膨らみます。
 この日も落ち着いた様子で舞台に立ったシュタイアーでしたが、その心中は周囲が思うほど穏やかではなかったようです。典雅なアリアを終え、いよいよ30の変奏曲が連なる本丸へと歩みを進めていこうとする第一歩 -- 第1変奏で派手に指がもつれます。その途端、突然テンポが速くなり(走り出し)ました。それを自覚するシュタイアーは必死でブレーキを踏みますが、いっとき制限速度に戻りかけてもすぐに速度超過をしてしまいます。結果、第1変奏は、テンポ感がバラバラで、酔っぱらいの暴走にも似た演奏。
 こういった状態を楽曲全体に波及させず、第2変奏から何事もなかったかのように振る舞えれば、演奏そのものに対する評価は高かったかもしれません。しかし、この日のシュタイアーは、このショックを最後まで引きずってしまいました。第15変奏までの前半、シュタイアーの美質「精確なテンポ感覚」は完全に影を潜め、てんでバラバラな水準で1曲1曲が進んでいきます。ト短調の第15変奏のあと、一息つくことで多少は落ち着きを取り戻した様子のシュタイアー。後半の幕開けにあたる第16変奏のフランス風序曲で着実な歩みをみせるも、技巧的で速い楽章が来るたびに、躍起になって弾ききろうとします。まるで「早く終われ」と念じているかのよう。第25変奏のように、バッハの「当世風の書法」の輪郭をしっかりと描いた見事な楽章もありましたが、統一体としての《ゴルトベルク変奏曲》を提示する演奏にはいたりませんでした。演奏は勝負事ではありませんが、あえていえば、シュタイアーの完全敗北です。
 もちろん、来日してすぐということもありますし、体調が優れないとか、心配事があるとか、事情はあるでしょう。しかし、そのあたりの事情を斟酌して「本当はできる子なのですけど、今日は…」などというのはナンセンスな評価。聴くほうは一期一会。この日、生涯最初で最後の《ゴルトベルク》に接した方もいらっしゃるかもしれません。定評のある演奏家とて、ダメなものはダメです。
 逆に言うと、これがライブの醍醐味ですね。ひとつとして同じ演奏はなく、ただそのときその場所、その演奏その聴取が全体として音楽になる。いまはただ、このような状態が今後の公演日程に影響を及ぼさないことを祈るばかりです。静岡が不首尾でも、東京、松本での公演はとんでもない名演になる可能性もありますから。
 

写真:アンドレアス・シュタイアー (2009年6月20日, ライプツィヒ・トーマス教会)