声明と雅楽 アンサンブル遊聲


 10月30日、久しぶりに北とぴあに足を運びました。お目当ては「声明と雅楽 アンサンブル遊聲 コンサート2010」。タイトルの通り、仏教音楽の聲明と日本古典音楽の雅楽とを組み合わせたコンサートです。古来、両者の組み合わせはめずらしくないもの(たとえば東大寺大仏開眼会)でしたが、その伝承はほぼ途絶えていました。
 それをシアターピースとして復活させたのが国立劇場の元プロデューサー・木戸敏郎さん。木戸さんの実践の中には正倉院宝物の楽器を復元するプロジェクトもありました。その成果を取り入れつつ、聲明と雅楽の新しい創造が進みます。
 その流れを汲む作品のひとつが、細川俊夫さんの<新・観想の種子 -マンダラ->(1986/95年)。この日は、ヨーロッパでもたびたび演奏されるこの曲の日本再演です。
 演奏会は、前半の古典曲と後半の現代曲とで仏教法会・曼荼羅供養を構成するもの。前半、<平調調子>を挟んで前後に声明の<始段唄>と<四智梵語讃><吉慶梵語讃>とを配します。
 中入り後は、細川俊夫さんの<新・観想の種子 ーマンダラー>(1986/95年)の演奏。聲明と雅楽器のアンサンブルですが、編成には正倉院復元楽器のアングラーハープ・箜篌を含んでいます。僧侶は各楽章で<四智漢語讃><散華><云何唄><対揚>を唱え、曼荼羅供をリアライズ。この作品では、敷曼荼羅の上にそれぞれの奏者と僧侶が陣取りますが、各楽器の音の勢いと曼荼羅上の方角=四季とが一致させられており、それが7つある楽章の構成原理ともなっているようです。
 細川さんの雅楽器の扱い方には、従来の古典雅楽からは逸脱している部分があります。雅楽器の音響をその持続音の長さで整理したり、楽器間の距離を音響化したり。前者はカール=ハインツ・シュトックハウゼンの<暦年ーひかりー>(1977年)に、後者は武満徹の<秋庭歌一具>(1979年)に見られるアイデアです。それらを引き継いだ上で、楽器の音の勢いや圧力を季節の巡りに結びつけることが、細川さんの到達した雅楽器の新しい方法論。曼荼羅は、楽器と季節の間を取り持つ鎹の役目を果たしています。
 長く引き延ばされた僧侶の声、途切れない笙の響き(土用)、空に抜けるような龍笛の高音(春・秋)、耳いっぱいに広がる篳篥の音圧(夏)、弦の振れを肌で感じるかのような箜篌の水調子(冬)。日本の声・楽器と日本の風土とがどれだけ深い結び付きを持っているか。ふだん隠れていて見えない関係を、曼荼羅を媒介として理解させてくれる好演でした。