メンデルスゾーン音楽祭(5)


クルト・マズアは厄介なおじいさんである

 メンデルスゾーン音楽祭の千秋楽は、クルト・マズア指揮、中部ドイツ放送合唱団、ゲヴァントハウス管弦楽団によるメンデルスゾーンのオラトリオ<エリヤ>。これは、生きたまま天に上げられた預言者エリヤの後半生を描く大規模声楽作品で、合唱の活躍と、それを支えるオーケストラの細やかな職人芸が求められる難曲です。記念年の音楽祭を締めくくるに相応しいプログラムと言えましょう。
 中部ドイツ放送合唱団の実力は、同じメンデルスゾーンのプログラムで証明済みです。百周年を迎えたライプツィヒ・バッハ音楽祭、メンデルスゾーンが編曲したバッハの<マタイ受難曲>(1842年ライプツィヒ初演版)を、この合唱団が好演したのが2004年のこと。すでに5年前のことですが、その充実した演奏をはっきりと思い起こすことができます。もちろん当夜もすばらしい歌声を聴かせてくれました。
 合唱が受け持つのは主に民衆の声ですが、ときに神から離反し、ときに帰依して神を讃美するユダヤの民を見事に表現。ポリフォニー(各声部が独立した旋律やリズムを奏しつつ調和するスタイル)の複雑で繊細な構造、ホモフォニー(各声部が同様の動きをしつつ調和するスタイル)の力強さがはっきりと打ち出されていて、感心。各パートの音色・音程がそろっていることはもちろんのこと、とりわけテノール声部の厚みが成功の要因として挙げられます。立体的なポリフォニーも力強いホモフォニーもテノール声部の力量にかかっているからです。
 当夜、そのすばらしい合唱を台無しにしたのがマズア指揮のオーケストラです。ゲヴァントハウス管弦楽団の名誉のために言っておきますが、これは楽団に問題があるためではなく、指揮者の能力に問題があるため。オーケストラの主な役割は、劇的な場面での音画的な(音で場面をまねる)表現と合唱のフォロー(たとえば、オケが合唱各声部の旋律を重複して演奏する「コラ・パルテ」)で、歌が主役のこの曲においては後者の仕事がより重要と言えます。それなのに、合唱のフォローをするどころかそれを「殺す」役割を演じたのがマズアの音楽作りでした。
 モダン楽器の音量・音勢・音色は、大きなコンサートホールでの演奏に用いるため、18・19世紀に比べかなり補強されています。いわば「ドーピング楽器」です。一方、歌い手である人間の声帯は18・19世紀に比べ「ドーピング楽器」ほどはパワーが増していません。したがって、作曲当時は合唱をほどよくフォローできたオーケストラも、モダン楽器を使う現代オーケストラでは合唱を凌駕してしまうわけです。
 そこで指揮者は、合唱を殺さないようにオーケストラの音量・音色・音勢を調えなければなりませんが、クルト・マズアはそれがまるでできていません。場面の盛り上がるままにオーケストラをあおり、弦楽器の音色でサウンドを塗りつぶし、歌を無視した大上段の表現とむやみな(無意味な)大音量を聴衆に押し付ける演奏。キャリア充分のご老体であられるわけですから「老害」と噂される前に退場されるのが晩節を汚さぬ生き方であることよ、と心から思います。
 ゲヴァントハウス管弦楽団は、ピノックのような優秀な指揮者のもとではすばらしい演奏を私たちに届けてくれるのですから、もはやマズアのような前時代的演奏家は敬して遠ざける方が賢明と言わざるを得ません。


写真:クルト・マズアと当夜のソリストたち