メンデルスゾーン音楽祭(3)


トレヴァー・ピノックは実際よりも大きく見えるおじさんである

 ピノックといえばコレルリヘンデルテレマン、そしてバッハといったバロック期の作品の演奏で一時代を築いたチェンバロ奏者・指揮者。手兵のイングリッシュコンサートをヴァイオリン奏者のマンゼに譲り、現在は古楽の第一線から退いています。今回の音楽祭では2夜に渡りゲヴァントハウス管弦楽団を指揮。モダンのオーケストラに古楽の風を吹かせることができるのか、注目です。
 第1夜の9月5日は、メンデルスゾーンの序曲<静かな海と幸運な航海>作品27を皮切りに、カール・マリア・フォン・ヴェーバーのアリア<何を申しましょう>(ケルビーニのオペラの中間に挿入された)、ルイ・シュポアの<ヴァイオリン協奏曲第11番ト長調>作品70、ルイジ・ケルビーニのオペラ<アリババ>導入場と続き、ベートーヴェンの<交響曲第4番変ロ長調>作品60で締めくくるプログラム。
 序曲で始まりアリアや協奏曲の名人芸を挟んで交響曲で終える、という1830年代には当たり前になっていた演奏会構成を採っているところがポイントです。1830年代といえば、メンデルスゾーンがゲヴァントハウスのカペルマイスター(音楽監督)だったころ。そして、ベートーヴェンヴェーバーシュポアやケルビーニといった、メンデルスゾーンが好んで演奏会に取り上げた名前が並ぶあたり、古楽ファンにはグッとくる内容です。
 一貫して静かで落ち着いた楽想の序曲から、アリアや協奏曲でお楽しみ。そしてメインディッシュは当然、ベートーヴェンの第4交響曲ということになりますが、これが大変に優れた演奏でした。アーノンクールノリントンがモダンのオーケストラを振って成功していますが、それに匹敵する成果をピノックとゲヴァントハウス管弦楽団もあげました。
 第4交響曲は第5交響曲と同じ頃に作曲されましたが、大会場で行う公開演奏会用の第5番とは違い、貴族の私邸でお抱え楽団が演奏するための楽曲として作曲されました。フルートが1本の編成はその貴族の楽団規模に合わせた措置です。当時の宮廷楽団の平均的な規模は、フルートが1本の場合、弦楽器は全体で10人強。この規模の楽団で<第4番>、すなわちクラリネットなど管楽器がこれまでになく活躍する曲を演奏したら、 その音響はかなり管楽器よりのバランスをとっていたはず。
 そこから見えてくるのは、ベートーヴェンが第4番を「管楽合奏曲」のジャンルに寄せて企図していた可能性です。事実、ベートーヴェン交響曲は第1番から一貫して、管楽器よりの音響(過ぎる)と批評されてきました。ですから、モダン・オーケストラの分厚い弦5部の響きを脱して、管楽器が楽曲構成上も技術上も音響上も存分に力を発揮してこその第4番と言えます。
 ピノックはそんな19世紀当時の音響を勘案してか、モダン・オーケストラとしては思い切ったバランスで曲に臨みました。10・10・6・5・4人編成の弦楽器5部に、遠慮なしに活躍する管楽器という音響バランスは、宮廷楽団の規模とは言わないまでも、ずいぶん管楽器寄り。
 そこから聴こえてくるのは、編成規模以上の空間性です。分厚い弦5部のモダン大オーケストラは土地は広いけれどベッタリとした低層建築、一方、管楽器よりのバランスの小規模オーケストラは、土地は広くないながらもすっくと立ち上がる高層建築のようです。管楽器の音色の多様性がこの空間性を作り出していることは論をまちません。その点でゲヴァントハウス管弦楽団は健闘しました(ブロムシュテットの訓練の賜物ですね)。
 こういうことを理解してオーケストラのバランスを取ることができるのは現在、アーノンクールガーディナーノリントンインマゼール、そしてピノックといった古楽畑の人たちばかりのような気がします。モダンの方、もう少し勉強が必要です。バロック弓を持てば問題がすべて解決するほど、ことは単純ではありませんよ!
 さて、大きく思えたのは音響の空間性だけではありません。ピノックははっきり言って、ちんちくりんのおじさんなのですが、指揮をしている姿は颯爽そのもの。実際よりもとても大きく見えます。翌日の演奏会で僕の前の席に座って鑑賞しているピノックを見て、その思いを強くした次第です。


写真:DDR建築不朽の名作、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス