富岡八幡宮例大祭のサウンドスケープ


 祭りを知らせる宮太鼓の音が近づいては遠いていく。「ドンッドンッカカカ/ドンドンドンカッカッ」という2小節組みのリズムが、4分音符=約66回/毎分の4分の4拍子で町内に鳴り響く。東京深川の連中は、このリズムを聴くと仕事が手につかなくなる。いや実際は、ひと月も前から心のうちには宮太鼓が鳴り、とうに落ち着きを失っている。
 平成20年8月、3年に1度の富岡八幡宮例大祭があった。「深川の八幡さまのお祭り」は、赤坂日枝神社山王祭り・神田明神神田祭りと並び、江戸三大祭りの1つに数えられている*1。
 宮元の富岡を中心に、江東区の深川地区と中央区新川地区の各町が神輿行列をつくり、域内を練り歩く。清めと暑さ除けを兼ねて、沿道から水を浴びせかけるのが特徴。50基を超える大神輿が八幡宮の前に次々と姿を現すさまはすこぶる勇壮で、担ぎ手でなくても心が昂揚する。
 掛け声の種類は「わっしょい」のひとこえのみ。渡御の主要路・永代通りで神輿の行列を見物していると、「わっしょい」のヘテロフォニーにいつの間にか声を合わせている自分に気づく。掛け声の張りやリズムは町会ごとに差異がある。もっとも大きい違いは、隅田川の西岸と東岸の間にあらわれていた。
 「わっしょい」の掛け声は、主唱に応唱が応える「こだま」の形をとる。隅田川西岸・中央区新川地区の「わっしょい」は「こだま」のペースが速い。基本拍子は、4分音符=約112回/毎分の4分の4拍子。1小節で「(主)わっしょい、(応)わっしょい、(主)わっしょい、(応)わっしょい」と声をあげる。2組の主唱・応唱が1小節に入っている勘定だ。
 一方、隅田川東岸・江東区深川地区の掛け声はゆったりしている。同じ1小節に「(主)わっしょい、(応)わっしょい」と「こだま」は1回。新川地区のちょうど2倍の遅さだ。新川地区の「こだま」には若々しく軽やかな「隅田川西岸文化」を感じるし、深川地区のそれには鷹揚でそれなりに重厚な「東岸文化」を垣間見ることができる。相応の準備をしてフィールドワークに取り組めば、興味深い結果が得られるかもしれない。
 このように考えると、カナダの音楽家マリー・シェーファーが提唱した「サウンドスケープ*2」の概念がよく理解できる。神と個人と共同体とを取り結ぶ装置「祭り」。共同体の社会性を映し出す「感性論的仲介装置(美的インターフェイス)」としての「わっしょい」。
 「わっしょい」ひとつに、ふと、そんなことを思わされる。いままで「サウンドスケープ」の概念を省みたことはなかったが、祭りのおかげで目を向けることができた。「八幡さま」のお導きがあったということだろうか。

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*1 東京で行われる、徳川将軍家ゆかりの3つの祭り。「神輿深川、山車神田、だだっ広いのが山王様」の狂歌が江戸期より伝えられる。浅草の三社祭を三大祭りに数える向きもあるが、それはバブル期に三社祭の広報を請け負った広告代理店が喧伝したでっちあげ。
*2 個人、あるいは特定の社会がどのように知覚し、理解しているかに強調点の置かれた音の環境。個人や特定の社会が、そうした環境とどのような関係を取り結んでいるかによって規定される(鳥越けい子『サウンドスケープ』東京;鹿島出版会, 1997年, 60頁)。「サウンドスケープ」については、前掲書とともに以下の文献がお勧め。R・M・シェーファー『世界の調律』(鳥越けい子他訳), 東京;平凡社, 1986年。