ライプツィヒ・バッハ音楽祭 (14)


6月22日、ノリントンは暴走するだけではない


 ライプツィヒ・バッハ音楽祭の最終日には、トーマス教会で<ミサ曲ロ短調>を演奏するのが恒例です。年ごとに担当する演奏家がかわり、モダン楽器の場合もあれば古楽器の場合も。ヘレヴェッへ、エリクソンブロムシュテット、ビラー、シュミットガーデンとつながれたバトンは今年、ノリントンへと渡されました。
 19日に刺激的な演奏を聴かせたロジャーが、どんな<ロ短調>を披露してくれるのか、期待に胸をふくらませて会場に向かいます。前評判通り、トーマス教会には満場の聴衆。「千秋楽・満員御礼・札止め」とのことで、主催者もほくほく顔です。
 懸念材料はオーケストラの配置でしたが、通奏低音群を西側楽隊席の前方寄りに置いたことで、アンサンブルのズレは解消されています。ただし、声楽ソリストをオーケストラの後方に配置したことで、平土間では管弦楽と合唱は直接的な音で、声楽ソリストは間接的な響きで聴こえたようです(わたくしがいた南側バルコニーには直接声が届いていました)。トーマス教会に慣れているブロムシュテットやビラーはこの問題を解決するために、西側バルコニー(楽隊席)の最前部、指揮者の横にその都度ソリストを呼んで演奏します。
 とはいえ、当夜のソリストにとって配置がどこであるかは大した問題ではなかったようです。というのも<ミサ曲>を歌うというわきまえを持たない歌い手ばかりだったから。もちろんオペラティックに歌っても、そこに表現の必然性があれば拍手も送れましょう。しかし、単なる習性として自動的にビブラートをかけ、ミサ通常文の内容と無関係に盛り上がり、(なんとすべてのソリストの)音程が不安定とあっては、評価のしようがないというもの。あれではどの位置で歌っても大差ありません。
 この日の白眉は合唱です。ベルリンで放送合唱に従事するRIAS室内合唱団、レパートリーは中世・ルネサンスから現代にいたります。圧倒的な技術と、団員ひとりひとりがしっかりと曲の様式感を持つこととで幅広い時代のレパートリーを維持する、希有な団体。当夜も存分にその実力を発揮しました。
 ブレーメン・ドイツ室内管弦楽団がモダンオーケストラだったこともあり(例によってバロック弓)、合唱団も相応の36人体制。しかし、そんな大きい編成でも混濁しないポリフォニーに脱帽です。声部が立体的に聴こえるのは、テノールの音量が厚いせいでしょう。合唱では最高声部の人員を厚くしますが、ことバッハの声楽曲をよりよく演奏するためには、埋没しがちなテノールの音量補強に配慮するべきだと、気づかされました。20日のC・P・E・バッハ<マタイ受難曲>、バルタザール・ノイマン合唱団でも、テノールの厚みが合唱を立体的に響かせたと言って過言ではありません。この日のRIASも同じ考えを持っていたようです。優れた合唱団はかならずどこかで通底していますね。
 オーケストラも注目に値する働きをしました。短めのアーティキュレーション(旋律の分節)が多くの面で効果的。とりわけポリフォニーの「交通整理」に役立ちます。ヘミオラ(3拍子系の曲でみられる変拍子)がしっかりとキマルのもこのおかげでしょう。また、ふつうの演奏ではあまり聴こえてこない声部がよく聴こえる例もちらほら。たとえば、ソプラノとテノールのデュエット"Domine Deus"。オブリガート・フルートに耳を取られがちなこの楽章ですが、主題である4度の順次下行が弦楽に何度も表れてくることに、当夜の演奏で気が付きました。ただ、コラ・パルテ(器楽が声楽のパートをなぞり補強すること)のバランスが悪い楽章がいくつかあり、オケが合唱を圧倒してしまう場面も。モダンの音色では合唱との融合が難しいのでしょう。コラ・パルテの融合度では古楽に軍配を上げざるを得ません。

 合唱やオーケストラにしっかりと自分の仕事をさせる「手綱さばき」にノリントンの才気を感じずにはいられません。掉尾を飾る "Dona nobis pacem" は合唱とオケの両輪がノリントンを軸にしてもっとも力強く回転した楽章。この曲はニ長調で、ニ管トランペット、フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリンが晴れ晴れと響きます。声楽はルネサンス以来の伝統的な様式、通模倣(声部が次々と模倣して進行する)。調和のとれた美しさの点で随一と言えましょう。バッハの自筆総譜には、この終曲の後に "DSGl"(Deo Soli Gloria/ただ主に栄光あれ)と書かれていますが、そのバッハの気持ちを代弁するかのような演奏でした。
 多少軌道を外しているように思えてもノリントンを評価できるのは、こういった古い様式でもわれわれを感心させる実力が備わっているから。奇抜なだけではない彼の音楽性を、もっと明確に言語化して伝えて行かねばならないなと思わされます。


写真:ライプツィヒ・トーマス教会