ライプツィヒ・バッハ音楽祭 (13)


6月20日、<マタイ>と<ゴルトベルク>をひと晩で聴く(2)


 さて<マタイ>後、感嘆の溜め息をつきつつ向かった先はゲヴァントハウス・メンデルスゾーンホール(小ホール)。エフゲニ・コロリオフ、モスクワ出身、ハンブルクでのローカルな演奏・教育活動に従事した経歴を持つピアニスト。ほとんど露出がありません(3月に日本ツアーをしました)が、彼の<ゴルトベルク>はすばらしいという噂を聞きつけたので、チケットをとったわけです。22時半からの演奏会は、眠られぬ夜のために作られたという(伝説が残る)<ゴルトベルク変奏曲>に相応しいと言えましょう。とはいえ遅い時間帯なのでお客様の入りが心配されましたが、当日券がずいぶん出たようで、多くのファンが臨席。「まぼろしのピアニスト」の登場を待ちます。
 <ゴルトベルク変奏曲>は、演奏者にも聴き手にも修行僧のような態度を要求する面のある曲ですが、この日のコロリオフの演奏からはそんな様子も見えず、聴き手もリラックスした雰囲気で変奏の妙に耳を傾けました。コロリオフの音のパレットはとても多彩。とりわけ左手の音色は豊かで、全体を通してピアノ・ビオラ・チェロのアンサンブルを聴いているようです。そのせいもあり、各声部がよく分離して立体的に聴こえます。
 繰り返しのときに施される装飾も趣味がよく、ピアノという楽器に相応しいもの。アンジェラ・ヒューイットがバッハの楽譜通りに装飾を付けて、曲を「ごてごて」にしてしまうのと好対照。チェンバロで演奏することを想定して付けた装飾を、ピアノでそのまま弾いたら「うるさく」なるのは自明ですが、ヒューイットはそれが理解できていないのです。コロリオフにはその点のわきまえがあります。
 そんな演奏ですから、ともすると退屈しがちな第13変奏あたりまでも、とても興味深く耳に届きます。第16変奏の「フランス風序曲」からの後半も失速することなく、自分の道を進むコロリオフ。あっという間にクオドリベット(第30変奏)まで到達しました。奇を衒うわけでもないのに退屈しないコロリオフの<ゴルトベルク>、ピアノの演奏としては最高ランクと言ってよいでしょう。


写真:コロリオフ(ゲヴァントハウス メンデルスゾーンホール)