17世紀ドイツ・バロックの鍵盤音楽 (中野振一郎)


 フローベルガー、ヴェックマン、ケルル、ブクステフーデを西洋音楽史から消してしまったら、鍵盤音楽の大家J・S・バッハも同時に存在しなくなってしまうと言っても過言ではありません。彼らはバッハの先達に当たる音楽家で、バッハは彼らの「洗礼」を受けて育ちました。彼らはバッハにとっての「洗礼者ヨハネ」というわけです。このCDには、中野振一郎さんの「ヨハネ」たちに対する思い入れがしっかりと聴いて取れます。
 「ヨハネ」たちがバッハに伝えたこと、その第1は断続様式。スティル・ブリゼと呼ばれるこの作曲法はフランス発祥で、リュートの掻き鳴らしを模倣したもの。不規則や突然の変化を表現するのに適しています。このスティル・ブリゼを「キメる」には、逆説的ですが、かなり規則的な「駆動装置」を体内に持つ必要があります。綿密に計測された揺れと戻りこそ、旋律の隠れた連続性を聴き手に印象づける秘訣なのです。中野さんはそんな「駆動装置」を体内に宿しているとみえます。おかげで我々は「ヨハネ」たちが伝えるこの様式の真価を知ることができる、というわけです。
 第2に、リチェルカーレやファンタジアなどの楽種を通して綿々と築かれてきた模倣対位法。絡み合うパートそれぞれをしっかりと聴かせるためにもっとも良い手段は、各パートを息の合った他人が違う楽器で演奏することですが、その点からすると、独りで鍵盤楽器を演奏するのは良い方法と言えません。しかし中野さんは、この「息の合った他人」を2本の腕で実現しています。
 スティル・ブリゼは、トッカータの自由な楽想の部分やトンボ、組曲アルマンドで聴くことができます。フランスの香りを存分に感じたいですね。模倣対位法は、トッカータで自由な楽想の部分と交互に現れます。スティル・ブリゼの即興的な楽想と、対位法のかっちりとした形式感との対比が聴き所と言えましょう。
 正確無比な「駆動装置」に加え「息の合った他人」までも内包する鍵盤奏者。優れたチェンバロの演奏をしばしば「悪魔的」と感じるのは、そんな理由があってのことかもしれません。このCDでも同様の感想を抱いていることは、もはや言うまでもありません。「悪魔」が「聖人」の音楽を奏する。それもまた一興ですね。

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「17世紀ドイツの鍵盤音楽」 (チェンバロ:中野振一郎)


フローベルガー(Froberger, J. J., 1616-1667)
トッカータIII ト調>, < 組曲VI ハ調 >,
組曲II ニ調>, < ブランシュロシュ氏を悼むトンボー>

ヴェックマン(Weckmann, M., 1619-1674)
組曲(II) ハ調>, <トッカータ ニ調>, <トッカータ(III) ホ調>

ケルル(Kerll, J. K., 1627-1693)
組曲 ニ長調>, <チャッコーナ ハ長調

ブクステフーデ(Buxtehude, D., 1637-1707)
組曲 ホ短調>BuxWV236


使用楽器:Single manual German harpsichord after Michael Mietcke MOMOSE HARPSICHORD 2004, a’=415Hz
WAKA-4126, 24Bit + 96kHz録音, 若林工房