伊東信宏『東欧音楽綺譚』

◇伊東信宏『東欧音楽綺譚』音楽之友社, 2018年

 自由な連想を綴るエッセイ集。ただし、この“自由”には少し注意が必要だ。連想の筋道は網の目のように拡がる。この網の目をきちっと辿らなければイメージはつながらない。網には隙間もある。想像力を発揮すべき場所はそこ。この空き地で思いのままに羽ばたくことが、ここでいう“自由”だ。この羽ばたきが連想に弾力を与える。
 演奏にも似たところがある。ラフマニノフの弾くモーツァルトが佳い例。もっとも緊張の高まる和音に、作曲家のつけた指示は「強いアクセントで」。ピアニストはその音に最弱音をあてる。「強く」という表面上の指示には背くが、「もっとも緊張する」という響きの芯は外さない。大切なことは固く守り、その表現は自由に行う。
 この書物にはこうした連想の自由が、何層にも折り重なっている。著者の伊東信宏は東欧音楽の専門家。雑誌の人気連載を取りまとめた24章はいずれも「東欧」の「音楽」の話題だが、内容は音楽家とその演奏、作曲家とその作品、東欧各地とその習俗などさまざまだ。こうしたテーマを起点にして伊東は、歴史・文学・社会・政治、さらに個人の履歴までも数珠つなぎにし、連想を進めていく。たとえばこんな風に。ルーマニアへの旅、その地の風習コリンダ、その歌のつまずきかけるような拍子、足の不具合が示す儀礼性、オイディプスの神話、シンデレラのおとぎ話、バルトークの音楽、東欧の闇……。
 著者が思考を飛翔させるにあたり、その“踏切板”にしたのは、指揮者クルレンツィスとヴァイオリン奏者コパチンスカヤの演奏のようだ。ラフマニノフの例にも似たクルレンツィスの仕事、発想力豊かなコパチンスカヤの解釈。チャイコフスキー作品の筆写譜から作曲家の秘めた恋心を掘り出し、それを演奏の現場に生かす。その筋道と飛躍とは、著者の連想の有り様にそっくり。こうした入れ子構造が、読みやすさの奥に広がる意味の沃野を感じさせ、読み手に連想への参加を促す。


初出:モーストリー・クラシック 2019年2月号



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