ライプツィヒ・バッハ音楽祭2019(11)

 前半戦にも登場したピエール・アンタイが、《ゴルトベルク変奏曲》を引っさげて戦線復帰した(6月22日、連邦行政裁判所)。

 ひとまず時をさかのぼる。2005年5月5日。時刻は22時半。最小限の照明がライプツィヒ旧市庁舎の舞台を照らす。そこにピエール・アンタイが登場し、挨拶もそこそこにチェンバロを弾き出した。当初のプログラムは《ゴルトベルク変奏曲》全曲の一本勝負。ところが、奏者の意向により直前に演目が増えた。ウィリアム・バードの変奏曲を2曲と、大バッハの《イギリス組曲》第2番から5つの舞曲を、《ゴルトベルク》の前に置いた。なるほど、変奏曲と舞曲とを混ぜて、それをポリフォニックに調理して出来上がったのが《ゴルトベルク変奏曲》。アンタイはそのレシピを、演奏会のプログラム上に再現している。演目は素晴らしかった。その代わり終演時間は深夜24時半を回ってしまった。

 今回もそんな14年前を思い起こさせるリサイタル。まず演目が案内もなく変わった。冒頭は《前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調》BWV998とされていたが、アンタイが弾きだしたのは《プレリュードとフーガ ニ短調》BWV539。変ホ長調という調(からト長調へと進むの)が気に入らなかったのかもしれない。たしかにニ調からト調なら完全五度だ。

 演奏は肝っ玉の据わったもの。多少(というか多々)のミスタッチなどは演奏の根幹を揺るがすことがない。ミスタッチひとつで演奏会全体が崩壊するアンドレス・シュタイアーとは大きく違うところだ。正確にテンポを刻む左手に、揺らぐ右手。その右手がさらに、装飾音をその場の興に任せて挟み込む。その半ば強引な装飾音の挿入が、ミスタッチを誘っているようにも思えたが、スリリングな進み具合には、何にも代えがたい魅力がある。
 レジスターチェンジの工夫も興味深かった。アリアから第1変奏、第2変奏と進む歩み(のテンポというより気分の質)が、徒歩、踊り歩き、スキップと変化していく。3種のレジスター(8’、8’+4’、8’+8’+4’)+リュートストップの機能を使い切らんばかりに使うのは、この楽器に対する信頼の賜物か。
 最終盤5曲の「追い込み」が当夜の聴きものだったかもしれない。心地よい速度で粘らずに進む第25変奏、変奏ごとに徐々に加速していって、第30変奏はたっぷりとした間合いながら軽みを前面に出したクオドリベット、最後に繰り返しで重量級の装飾を施したアリアと、終わり方を心得た運び。この人の(18世紀語法に裏打ちされた)自由な発想が、この日の《ゴルトベルク》も興味深いものにしていた。



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