ハレ・ヘンデル音楽祭2019(3)

  アンナ・プロハスカのガラコンサートに出掛ける(6月4日 於ウルリヒ教会)。プロハスカは17・18世紀音楽に専門性を発揮するかたわら、ヴィトマンやリームらの大規模声楽曲でも重要な役割を果たすソプラノ。このたびはバリトンのフルヴィオベッティーニを伴って、「アポロとダフネ」なるタイトルのコンサートを披露した。プログラムの前半にはカヴァッリとヘンデルのオペラから抜粋したアリアを数曲を、後半にはヘンデルカンタータ《アポロとダフネ(地は解き放たれた)》HWV122 を置く。

 プロハスカの表現技術が抜きん出ている。これは単に歌が上手いという次元のことではない。まずは表現すべきコンテンツを持っていること。詩の感興をしっかりと咀嚼して、その栄養素を取り込み、その味わいを聴き手に伝えようとする意思と見取り図とがある。つまり、作りたい料理を頭に思い浮かべ、その作り方をレシピとして整理する能力がある。その想像の豊かさとレシピの精緻さとが卓越している。次に、そのレシピを実現しうる技術がある。レシピが精緻である分、調理は難しい。プロハスカはそんな難しい料理もやすやすと仕上げる。
 こうした総合的な表現力は、コロラトゥーラのような華々しい部分にも現れるが、むしろ(陰陽問わず)情感の深いゆったりとした歌に顕著だ。その点で地味といえば地味だけれど、そのぶん味わいは深い。布の手ざわりを伝えるような細やかな表現は、その反物そのものの質感はもとより、別の布地と重なったときの透け模様もあらわす。さらに、折り重なったときの布の重さまで聴き手に感じさせるのだから見事だ。
 具体的には、息の太さのコントロールが行き届いている。とりわけ細くする方向への統御が利いている。そうすると、たとえばピアノとフォルテの対比も、音量に頼るのではなくて、息の細い太いで表すことができる。つまり、音量は同じままにピアノの細やかさからフォルテの力強さ(逆もまた然り)へと移ることができる。これがさらに進むと、音量の小さいフォルテと、音量の大きいピアノとがコントラストを成すことさえある。これが詩世界の表現に奥行きを与える。
 一般的な意味で美しい声の持ち主だが、歌い手として図抜けて美声というほどではないプロハスカ。そんな彼女を一流に押し上げたのが、この細やかすぎるほど細やかな総合的表現力であることは明らかだ。



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