小林聡幸『音楽と病のポリフォニー』

◇小林聡幸『音楽と病のポリフォニー — 大作曲家の健康生成論』アルテスパブリッシング, 2018年

 従来のものとはひと味違う作曲家論。著者は精神医学を専攻する大学教員で、クリエーターの病理とその創造性との関係を問う病跡学に、一方ならぬ知見を有する。
 この書物は全7章で、いずれの章でも作曲家を一人(最終章のみ二人)取り上げ、その創作活動に触れる。たとえば第4章。老年期のシベリウスは生活面では溌剌としていたが、創作面では作品に取り掛かるも書き上げられない「堂々めぐり」に陥った。そこに「創造性のうつ状態」を見るあたりは、専門家らしい議論となっている。
 一方、シューマンを扱う第2章で著者は、楽曲分析によって創作スタイルを抽出するも、それがシューマンの個人様式なのか、その年代の時代様式なのか、その土地の地域様式なのかといったことを検証しない。その持ち主不明のスタイルと、シューマン個人の病とを直接、連結してしまう。
 この本の面白さは第5章からにわかに加速する。病と創造性とに密接な関係が“ない”例のほうに、視点を移していくのだ。とりわけ、第6章のショスタコーヴィチの創作史は興味深い。スターリニズムの過酷な環境下、統合失調気質を抱えながら、精神的には大きな破綻を来すことなく生き、健筆を振るった。
 本書には登場しないが、バッハにせよモーツァルトにせよ、死の床でそれぞれ「ロ短調ミサ曲」や「レクイエム」を構想し、アウトプットした。その弱り切った身体と、生み出された音楽の豊かさとの間には深い谷が横たわっている。本書の第5章以降には、この隔たった両岸に橋をかけるためのヒントが隠されている。
 そもそも言葉で表現できないからこそ音楽として存在している音楽を、言葉で言い表そうというのは(それを仕事としている当方から見ても)“いかがわしい”ことだ。その意味では病跡学もまた“いかがわしい”。ただその“いかがわしさ”は、音楽の捉えきれなさから発する。そうである以上、これを面白がらないのは損というものだ。


初出:モーストリー・クラシック 2018年12月号


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