20世紀のソナタ作品

 「ソナタ」は17世紀、その内容に関わらず器楽一般を指した。はじめは3つ以上のパートと通奏低音とによるアンサンブルを意味することが多かったが、やがて2つのパートと通奏低音、1つのパートと通奏低音、独奏楽器のみのソナタにまで編成が絞られていく。18世紀後半にはさらに、急速楽章をいわゆるソナタ形式で書くことが、言わずもがなのスタイルとなった。ベートーヴェンが32のピアノ・ソナタでこのジャンルに大きな足跡を残して以降、19世紀の作曲家はその作法を守ったり逸脱したりしつつ、ソナタの創作を続けた。
 その最後の果実は、ベルクの「ピアノ・ソナタ」(1911年初演)だろう。仏革命から第一次大戦までをひと区切りとする歴史区分、「長い19世紀」(1789〜1914年)の世紀末に現れたこの作品でベルクは、ソナタ形式を踏まえ、調の有無の境目を行きつ戻りつする。加えて、ひとつの主題を変奏するように全体をまとめることで、師シェーンベルクの1909年前後の作風をなぞっている。

 一方、第一次大戦後から冷戦終結までの「短い20世紀」の「ソナタ」は、こうしたベートーヴェン以来のスタイルを“受け継がないこと”を旨とする。もちろんこの時代の作曲家も、インスピレーションの源としてベートーヴェンソナタ作品を重要視した。しかしそれは、スタイルの継承という形では発露しなかった。
 彼らはベートーヴェン以降の「ソナタ」を受け継がないための方法論として、18世紀以前の「ソナタ」を継承することにした。継承の仕方には2つの潮流がある。ひとつはスタイルを受け継ぐという姿勢、もうひとつは概念を受け継ぐという態度だ。
 ストラヴィンスキーバルトークらは、バロック以前のスタイルを借りることで、先輩世代の「ソナタ」に対抗した。ストラヴィンスキーはみずからの「ピアノ・ソナタ」(1924年)に関して「ソナタという用語をその本来の意味で用いた」と述べて、より原初的なソナタ(=18世紀以前のソナタ)へと接近している。バルトークは「ピアノ・ソナタ」(1926年)でバロック風のポリフォニーを採用、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(1944年)では、バッハの同様作品のスタイルをトレースしている。プーランクマルティヌーもこの系譜に連なる。
 こうした新古典主義の「ソナタ」作家として重要なのはヒンデミットだ。キャリアの初期(1917〜24年)と円熟期(1935〜55年)とに、たくさんの「ソナタ」を書いた。ピアノやヴァイオリンはもちろん、ファゴットやチューバを含む各種の管楽器から、ハープやオルガン、ヴィオラ・ダモーレまで、その対象楽器は多岐にわたる。ロマン主義風にテンポを揺り動かすのではなく、リズム・パターンを何度も繰り返したり、パートとパートとが絡み合うポリフォニーを作曲原理としたりと、ソナタ形式を含む19世紀来のスタイルとは距離を置いた。

 器楽一般を意味したバロック期の「ソナタ」概念を受け継ぎ、それを抽象的な器楽ジャンル、卑近に言えば“なんでもありの実験室”として利用したのが、ブーレーズやバラケといった前衛の作曲家たちだ。「ピアノ・ソナタ第2番」(1948年)でブーレーズは、ソナタ形式を無効にした。第1楽章、対比的な2つの主題を響かせながら、それを展開するのではなく徐々に解体していく。「同第3番」は5つのまとまりを持つ。そのまとまりの組み合わせ(ルールに基づくと8通り)は奏者に任される。また、各まとまりの中でも各部分の順序を変えることができる。こういった不確定性をブーレーズは、「ソナタ」という器に注ぎいれた。「ソナタ」はここで、まさに“なんでもありの実験室”として存在している。
 同じ「ソナタ」作家でも、こうした西欧の流れとは隔絶したところにいたのがアメリカ、およびソヴィエト連邦の作曲家たちだ。アメリカで言えば、ケージの立場が興味深い。プリペアド・ピアノのための「ソナタとインターリュード」(1946〜48年)の「ソナタ」でケージは、バロック期のスタイルを擬似的に採用するが、東洋風の音階を使うことで「バロック」も、また、その様式を借りた「新古典主義」までも骨抜きにしている。
 ソヴィエト連邦の作曲家は「ソナタ」や「新古典主義」に対して、ケージのような“皮肉”めいたそぶりを取らなかった。西欧の作曲家とは異なり彼らは、19世紀来の「ソナタ」伝統を自国に持たなかったので、反発すべき規範も同様に持たなかった。プロコフィエフがその「ピアノ・ソナタ」群で、独自の和声・リズム感覚を盛り込むのにソナタ形式を呵責なく採用できたのは、そうした環境にあったからだ。こうした姿勢はショスタコーヴィチに受け継がれる。彼は「ピアノ・ソナタ第2番」(1942年)で(多分に政治体制への“迎合”があったにせよ)ソナタ形式、ロンド、変奏曲など、さまざまな懐古的手法を取り入れた。それでいて、雪がしんしんと降り積もり、やがて雪崩を起こし、地の底で融けていくような、この作曲家独特の音楽運びは、その中でも十分に生きている。

 アメリカやソヴィエト連邦よりもいっそう奇特な形で、西欧の同時代の潮流と隔絶していたのは日本かもしれない。矢代秋雄は1961年、「ピアノ・ソナタ」を書いた。矢代の1960年前後と言えば、フランス留学から帰国、「交響曲」で高く評価され、「チェロ協奏曲」で尾高賞を受賞した時期。もっとも厚みのある活動をした創作期にあたる。対比的な2つの主題を持つソナタ形式の第1楽章、それらの主題をそれぞれ用いた第2楽章(トッカータ)と終楽章(変奏曲)。循環する主題で作品全体をまとめる手法は、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第30番」作品109に範をとる。19世紀的な伝統の中で、どこまで「ソナタ」の芯に肉薄できるか。現地ではすでに失われたモットーを、遠く日本で矢代秋雄が高く掲げていた。


【CD】
ベルク「ピアノ・ソナタ」
ヒンデミット「ピアノ・ソナタ」
ブーレーズ「ピアノ・ソナタ第2番」
ケージ「ソナタとインターリュード」
ショスタコーヴィチ「ピアノ・ソナタ第2番」
矢代秋雄「ピアノ・ソナタ」


初出:モーストリー・クラシック 2018年10月号



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