青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』

◇青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』平凡社ライブラリー, 2018年

 『ベートーヴェンの生涯』は青木やよひの名著である。著者の最後の1冊として2009年に世に出た。このたびはその再刊。タイトルの通り、ドイツの大作曲家の生涯を追ったものだ。
 この書物は奇妙なバランスの上に成り立っている。資料を可能なかぎり集め、丁寧に読み込み、それを冷静に取り上げ、文章へとつなげていく。一方で、それほど入手しにくいわけでもない資料を欠いた結果、叙述に誤りが生じたりもする。資料の解釈にはおおむね、恣意的なところはないが、ときに作曲家を擁護する筆が過ぎるきらいもある。
 裏を返せばこれは、資料の取り扱いが適正だから、その欠陥もはっきりと見えるということ。事実・伝え聞き・みずからの解釈をきちんと書き分ける文体だからこそ、その解釈の是非を問うことができる。つまりこの著作は、ノンフィクションとして実に生真面目な仕事と言える。その生真面目さがこの本を名著たらしめている。
 作曲家の生涯とその作品との関係を測るのは難しい。たとえば、肉親の死の時期と、悲壮感漂う作品の創作年とが相前後する場合。その両者に関係がまったくないとは言い切れないが、年代の近さだけで両者が深く関係すると断言するのも乱暴だ。青木はみずから描き出した作曲家の生涯に、その作品群をむやみに関係付けたりはせず、事実に語らしめるスタイルに徹する。結果としてそれが、この伝記の屋台骨となっている。
 生地ボンでの共和主義との接触、ウィーンでのフランス革命思想への共鳴などを細やかに綴ることで、「英雄」を経て「第九」へとつながる創作の流れの土台を、読者の頭の中に調える。バッハ親子の作品を学習した履歴を強調することで、晩年の対位法的世界観の源を示す。
 こうした昔気質の、“出汁のよく利いた”文章を、“塩気の足りぬ”読み物と感じる向きもあろう。だが、健全な読書を目指す諸氏にとって青木の著作は、あつらえ向きの“健康食”となるだろう。


初出:モーストリー・クラシック 2018年9月号



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