17・18世紀のドイツ語圏音楽史(第4回 / 全4回)

【ウィーン — フローベルガー】

 ウィーンは1619年、フェルディナント2世の就位と同時に帝都となった。代替わりに伴って宮廷音楽家の顔ぶれも大きく変化した。フランドル人=ルネサンス音楽の担い手が多かった楽団は、イタリア人=バロック音楽の旗手を多く雇い入れるようになる。室内楽の分野でもイタリア化=バロック化は進んだ。ローマでフレスコバルディ(1583-1643)に学んだ鍵盤奏者ヨハン・ヤコプ・フローベルガー(1616-67)が、師の道統をウィーンに伝え、ヨハン・カスパル・ケルル(1627-93)らが、それを受け継いでいった。
 シュッツの教会音楽、北ドイツのオルガン作品、カイザーの音楽劇、フローベルガーの鍵盤楽曲。こうした先輩たちの業績を踏まえ、同時代のイタリアやフランスの音楽に目配りしつつ、地域の実情や聴衆の水準に合わせ、それらを職人的手さばきでまとめあげる。程度の差こそあれ、こうしたことが18世紀のドイツ語圏の作曲家に課せられた仕事だった。このバランスが大衆性に傾いたのがゲオルク・フィリップ・テレマン、国際性に傾いたのがゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)、職人性に傾いたのがヨハン・ゼバスティアン・バッハだった。


【CD】
◇フローベルガー 鍵盤作品集◇ジークベルト・ランペ(チェンバロ, オルガン)
◇テレマン《ターフェルムジーク》全曲◇ゲーベル&ムジカ・アンティクワ・ケルン



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