17・18世紀のドイツ語圏音楽史(第3回 / 全4回)

【北ドイツ — ラインケン, ブクステフーデ, カイザー】

 北ドイツのハンブルクリューベックは、貿易で栄えた帝国自由都市。強い経済力を背景に、街の中心に大きな教会を建設し、そこに豪華なオルガンを設置した。こうした楽器を操り、北ドイツ・オルガン楽派の中心となったのが、ヨハン・アダム・ラインケン(1643?-1722)とディートリヒ・ブクステフーデ(1637頃-1707)だ。
 アムステルダムのオルガン奏者スウェーリンクは、ザムエル・シャイト(1587-1654)やハインリヒ・シャイデマン(1595頃-1663)といったドイツ人の優秀な弟子を育てた。シャイトは1624年のオルガン曲集『新譜表』を、従来の演奏指示譜でなく五線譜で著し、ドイツ・オルガン音楽の近代化を図る。シャイデマンは帰国後、ハンブルク・カタリーナ教会のオルガン奏者となり、北ドイツ各地のオルガン鑑定にも精を出す。教育にも力を入れ、ラインケンらを育てた。
 ラインケンは1663年、師のあとを継ぎ、カタリーナ教会オルガン奏者の座につく。その5年後、デンマークからブクステフーデが招かれ、リューベックのマリア教会オルガニストに就任した。これにより北ドイツ・オルガン楽派の黄金期が始まった。
 さて、ハンブルクでもうひとつ重要なことがらは、1678年にオペラ・ハウスが開場したことだ。当時、商業的に自立したオペラ・ハウスは、ヴェネツィアハンブルクにしかなかった。両都市は貿易相手として関係が深い。ハンブルクのオペラは、ヴェネツィアに強く影響された。1691年にはリュリ風のフランス様式も流れ込み、当地のオペラはより豊かになる。そして90年代後半、ラインハルト・カイザー(1674-1739)の登場でハンブルクは、オペラの街としての名声を確固としたものにする。
 カイザーはイタリアやフランスの音楽、地元の流行歌や民謡の旋律を、ドイツ語の響きの下に統合した。ハンブルクの市民に受け入れられたオペラはその後、テレマン(1681-1767)へと受け継がれた。


【CD】
◇ブクステフーデ オルガン作品集◇トン・コープマン(オルガン)
◇カイザー 受難の音楽集◇イーレンフェルト(指揮), カペラ・オルランディ・ブレーメン



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